底辺にしか分からぬ感情がある シャーリーズ・セロンの映画『モンスター』

映画『モンスター』について
自己責任か、境遇か。シャーリーズ・セロン演じる連続殺人犯アイリーン・ウォーノスは一見、無節操・無計画に見えるが、底辺には底辺の苦しみがあり、自己責任では割り切れないものがある。アカデミー賞に輝いた捨て身の熱演を画像付きで解説。『みんな私のことを、生き残ることしか考えないクズと思ってる』『わかるよ、君の気持ちが――君が生きるためにしていることは、好きでやってることじゃない。置かれた環境が違うんだ』『その通りだよ。私には”選択肢”がなかった』バーで友人と語り合う台詞が階層社会の苦しみを物語っている。現代社会の病巣を描いた力作。
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底辺の女 アイリーン・ウォーノス

『底辺』という言葉は日本でも言われて久しいが、美人女優シャーリーズ・セロンが10キロ以上も体重を増やして演じた、実在の連続殺人犯アイリーン・ウォーノスもまさに底辺に属する女性だ。

Wikiによると

『アイリーンによれば、彼女は祖父から肉体的、性的な虐待を受けた。また祖母はアルコール使用障害であった。彼女はかなり若い頃から複数の異性と性的な関係を持ったと語っており、その中には兄のキースとの近親相姦も含まれていたという。14歳で妊娠した彼女は家族から縁を切られ、1971年にデトロイトの病院で子供を出産。その子はすぐに養子に出された。アイリーンは森の中の廃車の中で暮らすことを余儀なくされるが、後に未婚の母親たちのための施設に送られた。1971年に祖母が亡くなった後、アイリーンは学校を辞め、娼婦として生計を立てるようになった。1974年、飲酒運転中に車から銃を発射し、コロラドで逮捕された』

等々。

その半生は決して裕福でも通常でもない。そして、そのまま大人になり、友人の持ちガレージで生活するなど、メチャクチャな生活を続けていた。それでも女は身体を売れるだけいい、と思う人もあるかもしれないが、売り物になるのは、10代、20代の、若くてキュートな間だけ。

女性も30代、40代と年齢を重ね、シミだらけ、贅肉だらけのオバサンになれば相場も下がり、買ってくれる男といえば変態レベル……という地獄になる。

シャーリーズ・セロン モンスター

アイリーンも、どうにか食いつないでいたが、ある時、バーで、同性愛者のセルビー(クリスティーナ・リッチ)と出会う。
二人はその場で意気投合し、瞬く間に恋仲に。

地元で問題を起こして、父親から勘当されていた世間知らずのセルビーは、「あんたと一緒に居たい」というアイリーンの願いに頷き、二人は車を乗り継いで逃避行に出る。

とはいえ、何日もモーテル暮らしが続くわけがなく、二人はたちまち険悪に。

そこで、アイリーンは、売春から足を洗い、まともな仕事に就くことを決意。スーツに身を包み、法律事務所など、あちこちのオフィスを面接して回る。

しかし、まともな職歴も無ければ、資格や技術があるわけでもない。アイリーンはどこへ行っても胡散臭い目で見られ、揉め事を起こす。

結局、再び、身売りせざるを得ず、アイリーンは国道沿いで客を拾っては相手を殺害し、金と車を巻き上げるようになる。

やがて、二人の足取りは警察の知るところになり、もう逃げられないと悟ったアイリーンは愛するセルビーを実家に帰し、自らの身の振り方を考えるが……。

*

この映画を見たら、一部の人は自業自得と思うだろう。

どんな境遇に生まれ落ちようが、どれほど苦労しようが、皆が皆、娼婦やギャングになるわけじゃない。努力しないお前が悪い、と。

この作品でも、セルビーのおばがこう言って聞かせる。

それがまともな間隔。

社会の大多数をしめる、真っ当な考え方だ。

『あの女が好きなのはわかるし、頼ってるでしょうけど、生まれつきの落伍者よ。ニガーと似てるわ。彼らが悪いんじゃないの。私は差別主義者でも何でもないわ。でも彼らは常に選択を誤るの。そして、そのツケを払うのよ。あなたも同性愛者として、カノジョみたいに安易な……』

『彼女は苦労してきたのよ』

みんな苦労を抱えながらも向上するのよ。でないと世の中は娼婦や麻薬中毒者ばかりになる』

シャーリーズ・セロン モンスター

だが、人も底辺まで落ちれば、考えも変わる。

普通の人々の「明日の不安」と、底辺の「明日の不安」は、質も切迫感も異なるからだ。

生活が不安といっても、とりあえず冷蔵庫に食べる物があり、来月もいくらかの収入、当面は安定した仕事、家賃を払えるだけの貯蓄、身分も保障され、家族もある人はまだいい。

貯金もない、住む場所もない、今更雇ってくれる会社もない、頼る人もない中で、この現実社会はとうてい生きていかれない。

それこそ、盗み、欺し、住まいと食糧を得る為なら何でもやるような底辺まで落ちれば、努力だの、向上心だの、言っておれなくなる。たとえ、様々な社会保障制度が整っていたとしてもだ。

だからアイリーンは、たった一人の友人トムに言う。

『みんな私のことを、生き残ることしか考えないクズと思ってる』

『わかるよ、君の気持ちが――君が生きるためにしていることは、好きでやってることじゃない。それしか方法がないからだ。君が今感じているのは罪の意識だ。でも、君の力ではどうしようもない。俺たちは戦争から戻り、君と同じことを感じ、何人もが命を絶った。誰も理解しない。今までも、これからも。置かれた環境が違うんだ。』

『そう、環境が違う。その通りだよ。私には”選択肢”がなかった。』

『そうとも。生きる術だけ。――生きなくては』

『そうだね。そのとおり』

シャーリーズ・セロン モンスター

それでも生きる。

生きていく。

だが、こんな状況になっても、人がこの現実社会で生きていくことの意味とは何だろう。

生物としての本能か。

それとも、人間としての矜持か。

アイリーンの「負けやしない」は、理不尽な運命への復讐にも聞こえる。

たまたま生まれ落ちた場所が「離婚家庭」「精神異常者の父親」「小児性愛者の祖父とアル中の祖母」というだけで、死ぬまで底辺に打ち付けられ、普通の庶民とさえ人生を違えてしまうのだから。

『私は神さまに対して何も恥ずかしいことはない。あんたが属する世界のことは百も承知さ。みんな偉そうに教えてる。”汝、殺すなかれ”って。でも、現実は甘くない。身体を張って生きている。神さまの望みが誰に分かる? 人は日々、殺し合ってる。何のために? 政治? 宗教? そいつらは英雄? 違う。でも、殺しは私にとって方法なんだよ。暴力男やレイプ魔は許しておけない』

『でも、それは一人だけ。大勢じゃない』

『この私に他のやり方があると思う? 私は悪人じゃない。すごくいい人間なんだ。悩むことなどない。私たちのような人間は虐げられる運命だけど、負けやしない。わかったね』

そんなアイリーンが意を決して面接に臨んでも、相手にしてくれる人などない。『ビーチ・パーティーで散々遊んだ女が、勉強した人間と同じになれると思うな』と侮蔑され、行く先々で、幸福になる機会から遠ざけられた、底辺の人間であることを思い知らされる。

医学を勉強したこともないのに、獣医になると言ってみたり、何もスキルはないけど仕事熱心ですとアピールしてみたり。

傍は「真面目に努力しろ」というけれど、努力の進め方も、何を為すべきかも、教えてくれる人もなければ、知る術もない。

一般人なら誰もが知っている常識も、通念も、アイリーンにとっては遠い世界の出来事で、社会に対する感覚からして違う。

そんな相手に正論を説いたところで、何がどうなるわけでもない。

コンプレックスを刺激され、余計で一般社会に対する恨みをつのらせるだけだ。

シャーリーズ・セロン モンスター

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いよいよ行き詰まったアイリーンは、親切に手を差し伸べようとしてくれた人まで撃ち殺してしまう。

シャーリーズ・セロン モンスター

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こうなってしまえば、二度と人の道に戻れないと思われたが、そんなアイリーンにも小さな愛があり、贖罪の気持ちがあった。

警察の追跡を前にして、約束通り、セルビーにバスの切符を買ってやり、人生のどん底から逃そうとする。

この場面のシャーリーズ・セロンの演技は圧巻。アカデミー主演女優賞も納得の出来映えだ。

『私は愚かな過ちをおかしてしまった。もし誰かが手を差し伸べてくれたら……あんたが助けてくれるなら、どうか助けて……どうしても自分が許せない。私のしたこと、全部……』

シャーリーズ・セロン モンスター

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かくして、アイリーンは警察に逮捕され、死刑宣告をされる。

法廷でも毒づくが、誰が彼女に言えるだろう。不幸な境遇に生まれても、努力すれば幸せになれる、と。

実際、努力だ、生き甲斐だと思えるうちは、まだ救いがあるものだ。

なぜなら、努力するにも、時間とお金が必要だから。

でも、いよいよ全てを失い、誰にも相手にされなくなって、明日の生活も立ちゆかなくなったら、人は何を思い、どこに救いを求めればいいのか。

こちら側から底辺の人を断罪するのは簡単だが、そこまで落ちてしまった人に正論や理想がどんな役に立つというのか。

アイリーンの言動を見ていると、この世には、心の善悪も、能力の差もなく、ただただ境遇の差があるだけ――という現実を思わずにいられないのである。

こんな暮らしでなく、本当の人生を送るんだ

シャーリーズ・セロン モンスター

『底辺と自己責任』に関する考察

よく『底辺と自己責任』について論じられるが、自己責任と言い切れる人は、真性のド底辺の住人と正面から向き合った経験が無いのではないか。

「近所にそういう人いる」「身内が似たような感じ(でも縁切りしており、ほとんど話したことがない)」という程度で、その人が生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い詰められ、実際、陸橋から身投げしてしまう(あるいは自宅でアルコール漬けになり、自棄死にする)までのプロセスを、つぶさに見届けた経験があれば、自己責任の一言では片付けられないからだ。

確かに、「昔は商売も上手くいって、派手に豪遊して、女遊びもしたが、商売が傾いた途端、仲間は離れ、女房にも愛想を尽かされ、一家離散して……」という身の上話を聞けば、「それって、自業自得じゃないですか」と言いたくもなる。

だが、この世のことは、紙一重。

今、自己責任論を唱える人も、数年後には、突然親が倒れて介護離職を余儀なくされたり、隣家のもらい火や天災で自宅を焼失したり、帰宅途中、車にはねられて、半身不随の大怪我を負ったり、子供が就職先で酷いモラハラに遭い、精神を病んで、引きこもりになったり。数年後には何が起きるか、分からない。

そうなって、初めて、努力や生き甲斐だけでは乗り越えられない、社会の壁にぶち当たり、庶民の生活基盤の脆さをイヤというほど思い知るはずだ。

そしてまた、相手も人間。

人格破綻したような、飲んだくれのオヤジでも、生きた、血の通った、人間である。

その人間を相手に、「自業自得だから、一人で勝手に死んで下さい」と言えるだろうか。

曲がりなりにも、この世は文明社会。

少なくとも、日本では、一人一人の生存が保障され、人間らしく扱われる権利も有している。

どんな立場であろうと、どんな経緯があろうと、救える限りは救うのが文明社会であり、心をもった人間の証ではないか。

それでも自己責任と思うなら、もう一度、社会の教科書を開いて、考えてみて欲しい。

会社や工場が利益を追求する存在なら、政治は何の為にあるのか、ということを。

人間、この社会に生きている限り、いつまでも無傷ではいられない。

老いて、手足も弱れば、病気にもなる。

女性も妊娠して、子供を産めば、現場から離脱せざるを得なくなるし、家族の誰かが怪我や病気になれば、昨日までの日常も一瞬にして奪われる。

洪水で家が流されれば、また一からやり直しだし、そのお金も、天から降ってくるわけではない。

もらい事故で手足を失い、目も見えなくなったら、明日からどうやって生活していくつもりか。

そんな風に、企業の定めたルール、あるいは、経済的フィルターから取りこぼされた人々の暮らしや権利をどうするかについて、施策をめぐらし、社会の富を上手に分配するのが政府の役割であって、政府自体がフィルターになってしまったら、庶民には不幸しか残らないと思う。楽しい思いができるのは、若くて、元気なうちだけ、と。

確かに、世の中には、サッカーの神様ペレのように、ブラジルの貧民街に生まれ育っても、類い稀な才能と運を生かして、世界の王者になる人もある。

だが、そんな10万人に一人か二人のレアケースを持ちだして、「貧しくても、努力すれば、成功する」と言って聞かせたところで、人はそう簡単に貧困や暴力の恐怖からは抜け出せないし、真面目に頑張ろうとしても、アル中の親に殴られたり、僅かな稼ぎも奪われたり、地獄のような環境で暮らしている人もある。

現代社会においては、「努力できる」ということ自体が、既に贅沢だということを認識した方がいい。(世界的に見ても、ご近所レベルでも)

この世の大多数は、同じ薄氷の上に乗っていて、自分の足元の氷もいつ割れるか分からない。

橋の下のホームレスも、明日は我が身。

自己責任などと笑える者など、誰もいない。

そんな世の中でも、ほんのちょっとの想像力で、人は幸せを感じたり、好転したりするものだ。

それでも自己責任と思うなら、一度、医療福祉施設で働いてみて下さい。

こういう記事をスマホで眺めていること自体、まだ恵まれている方だと分かるから。

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こちらはアイリーン本人にインタビューを重ねたドキュメンタリー映画。

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この子、どこかで見たことあるんだけど、誰だっけーと考え続け、視聴後、キャストを見て初めてわかった。
アダムス・ファミリーの女の子なんですね。こんなに大きくなったんだ。

彼女の演技もよかったけれど、セルビーがなんとも腑に落ちないキャラでした。

なんで、君は働かないの?? 
面倒は、全部、アイリーンに押し付けるの?? という印象がなきにしもあらず。

ただ、セルビー自身、常識やコミュニケーション力が欠落したようなところがあるので、社会性においては、まだアイリーンの方が上向きだったのかもしれません。

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【コラム】 生きてて、すみません ~老人が長生きを謝る時代

2018年のノートです

昔は青年らしい鬱屈の気持ちから「生まれてすみません」と自らを卑しんだものだが、今は長く生きすぎた厄介者の老人が「生きてて、すみません」と頭を下げる時代らしい。

人類が竪穴に暮らしていた頃から、狩りのできぬ者、子の産めぬ者は仲間に蔑まれ、群れの隅に追いやられる……というのはあったかもしれない。

だが、今はそれに輪をかけて、自己の尊厳や生命の保証を傷つけられるから、当時よりたちが悪いのではないかと思ったりもする。

若い時分に、なまじ成功体験があれば、尚更だろう。何も悪い事などしてないのに、『生きてて、すみません』と頭を下げなければならない時代は生産する者だけが重んじられ、生産できない者は場を奪われる。

国家存続の為にはそれしかないとしても、それが高度に発達した社会の有り様なのだろうか。

そうして、弱い者、非生産的な者から、静かに消えてゆけばいい。

人間を排除する社会の結末は、『そして、誰もいなくなった』。

実際、そうして、滅ぶ。

※『生きてて、すみません』のエピソードは、あるWEB漫画の一節です。でも、どこで目にしたのか、まったく記憶していません。ごめんなさい<(_ _)>

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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