立花隆氏の『がん告白』
立花隆さんというと、「知の巨人」とか「ペン一本で田中角栄を倒した男」と言われて、私が若かりし頃は憧れの人だったのですが、この世に怖いものなしのように見える立花さんも2007年に膀胱がんの手術をされたとのこと。
もうそんなにお年を召されたのかと思うと、心にいろいろ感じるものがあります。
で、日本を代表する評論家の立花さんのこと、自らの経験を生かして、がんをテーマにした様々な活動に積極的に取り組んでおられるのですが、読売系列の『ヨミドクター』というサイトに次のようなインタビュー記事が紹介されていました。
――がんは怖い、というイメージが強くあります。
立花 「がんの本質を考えると、生きていること自体ががんを育てていることです。人間はがんから逃れることができません。しかし、医師の中にも、「死に方を自分で選べるとすると、がんがいい」という人がけっこういます。なぜかというと、バタンと死ぬわけではなく、ゆっくり進みますから。自分も、自分の周囲の人間も、その人が死に向かっていくのを受容するゆとりのある病気です。」
ああ、なるほど、と思いました。
私も10年前までは同じ考えでした。
でも、今は、180度異なります。
なぜなら、人間そんなにカッコよく生きられるものでもなければ、死ねるものでもない、多分、死ねない人間の方が圧倒的に多いし、カッコよく死ねない人間を救済できるほど周りの人間も強くない、ということをつくづく感じるようになったからです。
私はどちらかというと、渡辺淳一氏と同じ考えです。
今はすっかり性愛小説の大家みたいになっちゃって、男と女の話ばかりをメインに書いておられるけども、渡辺センセの真骨頂は初期の作品、それも医療をテーマにしたエッセーや短編にあって、これこそ日本国民に読んで欲しい、と思うような内容ばかりです。
そんな渡辺センセの考え方は、私なりに解釈すれば、
『人間というのは、薄々がんだと気付いても、そうだとは認めたくないものだし、たとえ周りが嘘をついていると分かっても、その嘘に最期まで合わせたいと思うもの』
『告知してもらった方が残りの人生が生きやすくなる』というのは、生き甲斐とか社会的責任とか、特別な精神性をもった一部の人間にだけ可能な話で、大多数は、本当のことなど知りたくない、というのが本音だと思います。
高い確率で完治する初期の癌ならともかく、あと半年とか、もって一年とか、そんなこと言われて、普通の人間が「よし、オレも立派に死のう。明日から残りの人生を大切に生きよう」なんて思うでしょうか。
よくぞ本当のことを言ってくれた、と周りに感謝するでしょうか。
「死を受容する」って、聞こえはいいけども、そんな単純なものではないです。
本人も、周りも、もうすぐ死ぬと分かれば、どれほど苦しむことか。
相手を目の前にして、「あなた、あと一年だって」なんて言えるでしょうか。
「お前の命、あと半年だよ」と告知されて、ああそうですか、と受け入れられるものでしょうか。
死は、誰にとっても恐ろしい。
日頃、「いつ死んでも構わない」とか、「延命措置は要らない」とか、うそぶいている人だって、いざ、自分が死ぬと分かれば、焦り、絶望し、理性をなくすのが人間というものです。
小説『無影灯』より
末期ガンの石川さんと渡辺氏の医療観
渡辺淳一センセの初期の作品に、難病の若い医師・直江と美人看護婦の恋愛を描いた『無影灯』という作品があります。
テーマは男女の色恋ですが、舞台が病院ということもあり、医療従事者なら誰もが頷くような、リアルなエピソードがいろいろ登場します。
その中で、一番印象に残ったのが、『末期ガンに苦しむ石川のおじいちゃん』のエピソードです。
この患者は、もう手の着けようがないほど状態が悪いのですが、主人公で、ニヒルな死生観をもつ直江医師は、「手術をして、悪い部分は取り除きましたよ」と、みえみえの嘘と分かる説明をし、みかけだけの治療を施して、おじいちゃんの「もしかして、自分はガンではないか?」という疑いをのらりくらりとかわし続けます。
それに対し、後輩の医師や、他の看護婦は、「石川さんだって、うすうす気付いているのだから、本当のことを言うべきだ」というような忠告をするのですが、
「うすうす分かっていても、誰も本当のことなど知りたくない。患者自身も、周りの嘘に乗りたい(=騙され続けたい)ものだ」
と反論し、最期まで真実を告げることなく、自分のやり方を通します。
結局、石川さんは亡くなってしまうのですが、最期にはそんな直江医師に「先生、ありがとう」とつぶやく。
このエピソードには、渡辺センセの医師としての哲学や死生観が非常に色濃く表れていて、私も本当にその通りだなと思わずにいません。
つまり、死を立派に受容できる人間など限られているし、こと「死」に関しては、嘘が最大の思いやりになることもある。
人間の「死に対する恐怖」を侮るなかれ、ということです。
だから、死にゆく人に、立派であることや、冷静であることを求めてはならない。
死を意識した人間が、別人のようにわめき、苦しみ、当たり散らすのは当たり前です。
それを支える周囲も同様です。
TVドラマみたいに、いつもいつも、明るく気丈に接することなどできません。
むしろ「立派に死にましょう」と促す方が残酷な気がします。
その現実を知らずに、告知することがカッコいい。
本当のことを言ってもらった方が、いい死に方ができる──なんて思わないで欲しい。
最期まで本当のことを教えてもらえなくて、「よくもオレを騙したな!」と怒りながら死んで行く人などいません。
たいていは、「ガンかもしれないけども、そうじゃないかもしれない」という僅かな希望に懸けて、最期まで生きようとするものです。
死を受容できればそれにこしたことないけど、受容できなくてもカッコ悪いとは思わないし、むしろ、それが当たり前と思う。
そう捉えた方が、自分にとっても、相手にとっても、幸せなのではないでしょうか。
『無影灯』のあらすじ
渡辺センセの『無影灯』の話が出たので、この作品についてちょっと紹介しておきます。
『無影灯』は1972年に発表された初期の傑作で、平成になってからは、SMAPの仲居クン主演のTVドラマも制作されました。
*
都内のオリエンタル病院に勤務する直江は、名門大学病院の講師まで務めながら、突然、辞表を出して、私立病院に転職した変わり種。
誰もその理由は知らず、様々な憶測が飛び交うが、直江自身は優れた医師であり、看護婦の典子は人目を忍んで逢瀬を重ねていた。
直江のニヒルな態度は、周りのスタッフのみならず、恋人の典子までも翻弄するが、そこには誰にも打ち明けられない、人間としての深い苦悶があった──。
*
この作品の特筆すべき点は、医師として様々な臨床経験を重ねてきた渡辺氏の死生観や医療観が、色濃く表れていることです。
たとえば、末期癌の老人の手術をめぐるエピソード。
後輩で、年若い小橋医師は、手術を前に直江に詰め寄る。
「あの手術、僕にはどうしても納得できないのです。転移している手遅れの胃がんを手術するのは、死期を早めるだけじゃないでしょうか」
「あれは皮膚に切開を加えるだけだ」
「皮膚を?」
「患者に切って悪いところを取ったと思わせるためだ」
「そんな嘘の手術をして、わかったらどうするのです?」
「わかるかわからないか、やってみなければわからん」
「しかし、それではあまりに患者を馬鹿にしていませんか。どんあだったと訊かれたら、なんと答えるのです」
「大きな潰瘍があったと答えればよい」
「そんなことをしても、結局は欺しおおせませんよ」
「どちらにしても癌である以上、欺さねばならん」
「わかった時、あのお爺さんは、きっと恨みますよ」
「そうかもしれん」
「手術をした割りに少しもよくならないと言われた時、僕たちはなんと答えればいいのですか」
「黙って聞いておけばいい」
「でも最後に、どうなのだ、と迫ってきたらどうするのです」
「迫ってなどはこない」
「何故です」
「患者は死期が近づいたら駄目なことを自然に自分で悟る。われわれが改めて言う必要などはない。患者は黙っていても助からないのを悟る。その時、俺は助からないのではないかとか、癌なのに嘘をついた、などと怒ったりはしない。彼らはそんなことを考えたくはないのだ。自分は駄目だとは思いたくない。だから、そんな怖いことは訊いてこない。医者は嘘をついていると知りながら嘘のなかに入っていこうとする。われわれがとやかく言わなくても、向こうから入ってくる」
「……」
「お互いに嘘を付き合ったまま、嘘の中で死んでいく。それでいいのだ」
*
このニュアンス、何人もの死に立ち会った医療従事者でないと分からないことも多いでしょう。
患者に嘘とか、欺すとか、表面だけみれば、いかにも不誠実な印象を受けるかもしれません。
でも、人間とは、そういうものなのです。
渡辺氏に、この一文を書かせた背景が私にはよく分かります。
自分が死ぬかもしれないと悟って、「いつ死にますか?」なんて聞く人があるでしょうか。
たとえ残り数日でも、毎日をよりよく生きるために、自分の死ぬ日を知りたいと思う人が、本当にいるでしょうか?
あったとしても、おそらく少数派。
大多数の人は、死に怯え、心を乱されて苦しむ。
周りの人間にできることは、なるべく死から離れたところで、気持ちを安らげること。
死期を明確にして、残りの人生に目的意識を持たせることは、時に残酷です。
告知が進んだ考え方などと、どうか思わないで欲しい。
「死」というのは、目を背ける以外、救いようがないくらい、重いものなのですから。
渡辺淳一の医療系おすすめ本
こちらも医師・渡辺淳一の哲学が冴える短編集。人を見つめる眼差しの優しさと確かさを感じさせてくれる。
肺癌。その事実を患者に告げるべきか、否か。生と死の狭間に立つ人間の偽りのない姿と、診断の宣告を強いられて苦しむ医師たちに生命の尊さを見つめたオリジナル文庫版。
この本を読むと、渡辺センセは、ほんっとに女性が好きなんだな(好色という意味ではなく)としみじみ感じます。
医師の目を通した女性のすごさや強さを生き生きと書き綴るエッセー集。
もう一度、こういう文章をたくさん書いて欲しいです。