その昔、私は、「自分を変えたい」「人生を変えたい」と漠然と望むばかりで、その為の行動は何一つ起こしていなかったような気がする。
もちろん、仕事もし、勉強や趣味にも打ち込み、それなりに励んではいたけれど、実際、外の世界に向かって自分から働きかけるようになったのは、ここ数年の話、という気がする。
海外旅行だって、行こうと思えば、いつだって行けた。
だけど私は「言葉が通じないから」「不安だから」「大きなきっかけが無いから」「危ないから」みたいな言い訳を並べ立てて、いつまでたっても動こうとしなかった。
人生において旅行を楽しめる時期など限られているのに、何て損な思いに囚われていたのだろうと思う。
リスクを避ける気持ちが、かえって物事をマイナスに傾けていた。
幸運はリスクの向こうにあるのに、悪いことばかり数えて、ハードルを越えようとしなかった。
だから、何も変わらなかったのだろう。
変わりたい、変わらなきゃと望みながら、何一つ変えられなかったのは、「行動しなかったから」。
その一言に尽きる。
言うなれば、井戸の底で、「変わりたい、変わらなきゃ」と夢見てうずくまっているカエルみたいなものだ。
世界を変えたければ、思い切って井戸の外に出ればいいのに、誰かが井戸の外に救い出してくれる事ばかり期待し、自分からは何もしようとしなかった。
自力で井戸の外に這い出て、はじめて新しい世界が開けるのに。
どんな行動も、その一つ一つが運命の扉だ。
小さい扉、大きな扉、それぞれに大きさは違うけど、行動することが次の運命の扉を開く。
その全てが真っ直ぐに幸せや成功に通じているわけではないけれど、自分で運命の扉を開かなければ、誰も開いてはくれない。
そして自分で開ける勇気が無ければ、何もかもそこで止まってしまうのだ。
これという扉があるなら、思い切って押してみればいい。
たとえ、その向こうにつらい事や苦しい事が待ち受けていても、いつかは全て過ぎ去る。
そして、一つの扉の向こうには、また別の新しい扉が待っているものだ。
そうして、次々に扉を開いていけば、きっといつかは自分の目指す世界に辿り着けるはず。
どんな行動も、結局は、幸せに通じる道なのだ。
初稿 2002年8月13日