思いがけず真珠をプレゼントされた。
世の女性が泣いて喜ぶ、英虞湾の真珠だ。
インドの伝説によると、白い真珠は、名声を、空色の真珠は、幸運を、黄色い真珠は、福の神を呼び、クリーム色は、持ち主を理知的にするそうな……。
Marieがもらったのは、目玉みたいな真珠だった。
夜の海にぽちゃんと落とせば、
アンコウのチョウチンになりそうな……。
真珠は、『月のひとかけら』。
月の女神ディアナの分身であり、海にそそいだ光の結晶でもある。
太陽が海の恋人なら、月は海の守り神。
夜の海を何より明るく照らすのは、闇夜に輝く月だから。
星が旅人を導くように、月はその航路を光で照らして守る。
もし夜に月が無かったら、皆、たちまち暗がりに迷うだろう。
あれは昼の中では用をなさないが、夜には無いと困るのだ。
そんな光のしずくが、夜の底で、輝く白い珠になった。
真珠の言葉は、『純粋無垢、健康』
古代インドの逸話によれば、海が神に真珠を捧げ、
それが神の胸に宿って、神の心になったという。
宝石というよりは、魂の結晶。
胸の底に流れ落ちた涙が固まって出来たような……。
真珠の核にあるのは、棘だか砂だかの小さな異物。
痛い、苦しいと泣きながら、じっと抱えているうちに、
綺麗な珠になりました……。
預言者エドガー・ケイシーの言葉。
【真珠は、その美しさを生んだ母体が、苦しみを克服したことを
その構造の中に、その美しさの中に、伝えている 】
『夢見るジュエリ』岩田裕子 著 参照
「どんな人間でも、生涯に何か一つは閃く。
だが、その閃きを持ち続ける人間はいない。
肝心なのは、“閃くこと”ではなく、閃きを“追求すること”だ」
――と、のたもうたのは、うちの父親。
何かいろいろ閃いては、その度に、「ワシ、天才ちゃうやろか?!」と一人舞い上がっていたらしい。
「……でもな、ワシが何も成せんかったのは、いつもその閃きがその場限りで終わってたからや。
何か成す奴は、その閃きを何年も何十年も持ち続けて、ひたすら追求しよるんや。
人生をより良く生きるコツっちゅうのは、一点の目標に向かって、錐のように突き進んでいく事かもしれんな」
と。
愛でも、夢でも、閃きでも、
何ものにも顧みられず、胸に抱き続けることは苦しいものだ。
ダイヤの原石か、ただの石ころか分からぬものを、
ひたすら自分の中で磨き続けることは。
人は誰でも、ダイヤの原石と分かれば大事にする。
全力を尽くして、必死に磨く。
が、得体の知れないものには冷たい。
磨く努力もしない。
そうして次々に、貝の中から核が吐き出されていく。
「始まり」という名の、小さな異物が。
本当は、何も持たずに生きていくのが一番楽なのかもしれない。
なまじ「始まり」という小さな異物を抱えてしまったために、
七転八倒するハメになる。
傍で見てても、滑稽だ。
努力が美徳などと、誰が言い出したのだろう。
楽に至る美徳は、「何もしないこと」なのに。
ただ一つ思うのは、
核が無ければ、真珠も作り得ないということだ。
異物を抱き続ける苦しさに負けて、吐き出してしまえば、もう何をも生み出せない。
究極、仕事を完成させるのは、運や才能ではなく、「始まり」という名の小さな異物を抱き続ける苦しさに、どこまで耐えられるかという気力(執念)であるように思う。
真珠もピンからキリまであるが、自分が結晶させた真珠は、この世のどんな宝石にも勝る。
初稿:99/07/22