【コラム】 猿山には何故イノシシが居るのか
むかーし、生物学科の知人に聞いたことがあります。
「猿山には何故イノシシがいるのか」
周知の通り、猿の社会は、幼稚園のママ集団と同じく、階級社会です。
弱い猿はいじめられ、動物園の猿山のように閉鎖された空間で飼育されていると、逃げ場を失い、ストレスから死んでしまうこともあるそうです。
ところが、そこにイノシシが居ると、弱い猿はイノシシの背中に乗ったり、ちょっかいをかけて、ストレスを発散することができます。(イジメてるつもり)
けれど、イノシシは「猿に遊んでもらっている」と感じるので、ストレスには感じないそうです。
つまり、あのイノシシは、弱い猿の攻撃の受け皿となることで、階級社会の最下層にいる猿の救いになっているわけですね。
ですから。
幼稚園でボスザルみたいなママや、その手下ザルにいじめられたら、こう考えましょう。
「私はイノシシ。あんたはサル。あんた達のストレスの遊び相手になってやってんのよ」と。
根本的に生物種が異なると思えば、少しでも気持ちが楽になりませんか。
ついでに、タワーマンションで、上だの、下だのにこだわる人たちの、無意味な上階自慢に疲れたら、心の中でこう唱えるといいですよ。
『バカと煙は高い所が好き』
元気出してね。
【映画コラム】 『No』は進化の証
なぜ猿のシーザーは「No」と言ったのか
アルツハイマーの新薬の影響で、卓越した知能を持つに至った猿のシーザーは、心優しいウィル・ロッドマンの家に引き取られ、家族同然に育てられます。
ところが、アルツハイマー病に苦しむウィルの父親を、乱暴な隣人から守ろうとした行為が、逆に「危険な動物」とみなされ、霊長類保護施設に隔離されてしまいます。
狭い檻に閉じ込められ、粗末な餌を与えられ、飼育係に虐げられるシーザーは、ついに決起し、猿の仲間を統率して、人類との闘いに挑みます。
その時、シーザーをいためつけ、檻に戻そうとする意地悪な飼育員にシーザーが放つ言葉が『No』
日本語吹替では「やめろ!」になっていますが、オリジナルでは「No(ノー)」と力強く叫びます。
これが猿のシーザーの「最初の言葉」なんですね。
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これって、何かに似てません?
そう、「子供」です。
親なら誰でも経験する「魔の二歳児=イヤイヤ期」です。
「ジュンちゃん、ごはん食べる?」
「イヤ」
「ジュンちゃん、お着替えする?」
「イヤ」
「ジュンちゃん、遅いからもう帰ろう」
「イヤ」
右も左も分からない、言葉も知らない、人間的に真っ新な状態で赤ちゃんが順調に成長し、「自我」に目覚め始めた時、好んで使う言葉です。
まるで「イヤ」の中に自分が居るみたい。
二歳児のイヤイヤ期には本当に手を焼きますが、子供が「イヤ!」と言うのは、「お猿」から「人間」に成長した証なんですね。
ゆえに、シーザーが最初に発する言葉を「No」に設定したのは、非常に好い演出だと思います。
※ さあ、みんな、勇気をもって『No』と言おう。
人間関係を円滑にする「No」
もちろん、「No」と言われて嬉しい人間はいません。
家庭でも、会社でも、何所の世界でも同じです。
No, Thank you が当たり前の国でも、自分の誘いを断られたら、誰でもガックリ肩を落とすのは万国共通。
腹の底から喜ぶ人なんて、まず有りません。
それでも一点違うのは、「他人のNoを尊重する」という精神的風土がある点です。
あなたがNoを言うように、私もNoと言っていい。
お互いにNoを受け止める余裕がなければ、どんな人間関係も長続きしません。
『No』は、誰にとっても苦い言葉ですが、実質は、人間関係を円滑にする、魔法の言葉なのです。
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恐らく、Noを言うのも、言われるのも怖い人は、『No』を全人格の全てと思い込んでいるのかもしれません。
他人のNoが許せない人は、『No』の一言に己の全存在を懸けてしまうからかもしれません。
『No』も人間の意思の一つに過ぎないのに。
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映画に好き嫌いがあるように、人間の意思にも、Yes と No が存在します。
それは一つの嗜好であり、選択の結果に過ぎないのに、Noに過剰反応する人は、Noに己の全存在を投影し、意思と人格の切り分けができないのでしょう。
たとえば、遊園地に行けば、観覧車が好きな人もいれば、絶叫マシーンに乗りたい人もいます。
観覧車が好きな人に、「絶叫マシーンに乗ろう」と誘えば、きっと「イヤよ(No)」という返事が返ってくるでしょう。
でも、それは、あなたという人格を否定してイヤだと言っているのでしょうか。
そうじゃないですね。
彼女はただ、絶叫マシーンが苦手なだけ。
だから、誘われたら「イヤよ」と言うのです。
ところが、Noという言葉に全存在を投影してしまう人は、「彼女は私を嫌っているから、私の誘いにイヤと言うのだ」と、自分を否定されたような気持ちになってしまいます。
相手の意思と人格の切り分けができないので、思うような答えが返ってこないと、傷ついたり、恨んだりするのです。
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意思は意思。好みは好み。
意見も嗜好も、その人の一部であって、人格とはまったく別のものです。
だから、気の進まない物事に対して、相手は No と言っていいし、あなたも同じように No と言っていい。
お互いに、お互いの意思や嗜好を尊重する気持ちがあれば、相手の否定も許せるし、あなた自身が傷つくこともありません。
その余裕が好意になり、信頼になり、人間関係を円滑にするんですね。
Noは自立した人間の証
『No』はまた、自立した人間の証でもあります。
何故なら、No を口にするには、勇気と責任が伴うからです。
猿のシーザーは、『No』という言葉で、自分の意思を力強く表明します。
人間に飼われて、檻の中でおとなしくしておれば、とりあえず安全で、餌にもありつけますが、シーザーはそうしませんでした。
人間に憎まれ、住まいも餌も無くすのを覚悟で、『No』と意思表示します。
この場面は、単に「言葉を習得した」という話ではない、シーザーの自我の目覚めと独立宣言の叫びなんですね。
人間と猿の違いは、『No』と言えるか、否かです。
意思のある人間ならば、勇気をもって『No』と言わねばならない時もあるからです。
そして、他人のNoを尊重するように、自分のNoも尊重する。
『No』という言葉は、人間の尊厳に他なりません。
Noという言葉を大事にすれば、かえって人は救われ、社会も円滑になるのです。
猿の惑星シリーズ
DVDとAmazonプライムビデオの紹介
「最近のハリウッドのお猿は利口やな~」と思っていたら、俳優さんが特撮で演技してると知ってビックリ。
(ロード・オブ・ザ・リングで「マ~イ・プレシャ~ス」と言うてた人。ゴラム?)
私も、我が家のハムスターと心を通わせているからね。(四匹、それぞれに性格が違う)
サルと人間の違いが理解できて、感慨深い作品です。
出演者 ジェームズ・フランコ (出演), フリーダ・ピント (出演), ジョン・リスゴー (出演), アンディ・サーキス (出演), ルパート・ワイアット (監督)
監督
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