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帝王リヒテルのチャイコフスキー『ピアノ協奏曲第一番』/ ショパンのエチュードOp10, No.4

2020 6/27
目次

スヴャトラフ・リヒテルについて

ロシアの三大ピアニストと言えば、「リヒテル、ギレリス、ペトロフ」というのが一般的らしいが、私はあえてここから一名を差し引いて、『リヒテル&ギレリス』の両名をもってクラシック・ピアノの最高峰と位置づけたい。

そりゃもう、通に言わせれば、「ミケランジェリがいるだろ」「ホロヴィッツはどーした」と、さんざん頭を叩かれるに違いないが、これは優劣の問題ではなく、存在感の問題なのだ。

確かに、ある部分では、「ミケランジェリの方が長けている」「ホロヴィッツの方が優れている」というのはあるだろう。

しかし、『ピアニスト』としての存在感──人間としての生き様に重きを置くなら、リヒテルとギレリスに並ぶものはない。

とりわけリヒテルは、私が一番最初に出会ったピアニストだ。

それまでピアニストの個性などまったく分からなくて、「ピアノの上手な人=ピアニスト」ぐらいの認識しかなかった子供時代の私に、ピアノの演奏は技術の良し悪しをアピールするための発表会じゃない、まるで自然な呼吸のように、奥深いところから吐き出される魂の発露だということを教えてくれた。

なぜなら、彼の演奏は、子供の私にさえ「リヒテルだけが持つ音の響き」を感じさせるほど強烈で、身震いするほどの存在感をもって聞こえたからである。

以下、CDのライナーノーツより。

もう大分以前のことだが、リヒテルが日本でまだ、リフテルという発音で呼ばれていた頃、彼が20年以上も別れて暮らしていた母親との劇的な再会について記した、ポール・ムーアという人の記事を読んだことがある。

当時リヒテルはまだ我々にとってまぼろしのピアニストであり、彼をめぐるすべてのことが一種の伝説として受け取られていた頃だけに、その物語は特に強い印象を残したものだった。その出来事をリヒテルの経歴の中に織り込んでご紹介すると次のようになる。

スヴャトラフ・リヒテルは1915年、ウクライナ地方のジトミルで生まれた。

父親がピアニストでまたオルガン奏者でもあったので、最初は父からピアノの手ほどきを受ける。

15歳の頃からオデッサの劇場でバレエなどの伴奏をやっていたが、1937年、22歳の時モスクワ音楽院に入って、名教師として知られるゲンリッヒ・ネイガウスに就くことになる。

そして1940年には、まだ音楽院に在学中にもかかわらず、初めてモスクワでリサイタルを開いて好評を博し、1945年には全ソビエト・コンクールのピアノ部門で優勝するなど次第に頭角を現し、1947年に同音楽院を卒業する。

そしてソビエト、及び東欧圏を手始めに演奏活動を開始し、1959年にはフィンランドを訪れたのを皮切りに、西側にも次第に足跡を伸ばして、翌1960年にはアメリカ合衆国を訪れて大きな反響を呼ぶのである。

だが、このリヒテルの栄光に満ちた経歴が、家族からまったく切り離された。孤独の中での出来事だったことを知っている人は誰もいなかった。

話はモスクワ音楽院時代に遡る。

リヒテルの母親アニーが、たまたま息子を尋ねて、オデッサからモスクワへやって来た時、ヒットラーによるソビエト攻撃が始まった。

彼女は直ちにオデッサへ戻り、リヒテルもそれを追ってオデッサへ帰ることになっていたのだが、しかし先に帰った母親が受け取った一連の電報には、彼がしばらくの間モスクワに留められるだろうと記されており、それ以後、音信はばったりと途絶えてしまったのである。

そしてこの後、両親がたどった経歴は悲惨だった。

父親は当時オデッサにいたドイツ人名をもつ、約6000人の人達と一緒に逮捕され、処刑されてしまった。

彼は政治運動などまったくしなかったし、しいて言えば、1927年にオデッサのドイツ領事館で音楽を教えたことくらいしか罪状として覚えがなかったという。

そして母親はそれから2年後に、その弟と再婚するのである。新しい夫はやはり音楽家で、かつてリヒテルに理論を教えたこともあったという。

だがその後も二人には決して平和な暮らしが待っていたわけではなかった。

連合軍の攻撃と共に、彼等はオデッサを連れてルーマニアに行き、次にハンガリーへ、それからポーランドへ、そして最後にドイツへやって来る。そしてシュトゥットガルトで音楽教師の地位を得て、そこに留まることになるのである。

ところでしばらくたつうちに、リヒテルの名声は西欧諸国でもいろいろと報道されるようになり、そういった記事を通じて、両親は息子の消息を知ることが出来るようになっていた。

そして1960年、関係者の努力の結果、リヒテルのニューヨーク公演に際して、親子は本当に20年ぶりに感激の対面を行うのである。

このニューヨーク公演の実況版は、レコードとしてCBSから発売されたし、またRCAでも、ブラームスの第二番の協奏曲などを録音して、人々の注目をひいたものだったが、この華やかなリヒテルの成功劇の裏に、こんな家族再会の劇的な物語が秘められていたとは、当時、誰が想像し得ただろう。

それから二年後、リヒテル夫妻(夫人はソプラノのニーナ・ドルリアク)は西ドイツへ両親を尋ねることになる。

その時、リヒテルの旅券には、ドイツ人と記されていたということだが、しかし彼はそこで見聞する一切の風物に対して、決して同国人としての反応は示さなかったし、彼は明らかにソビエトの人間としての誇りを持って振る舞ったのだった。

そのことは、ごく当然のことに違いないのだが、私にはその時、それが何か不思議に強く印象に残ったものだった。

その頃、ムラヴィンスキーと競演したチャイコフスキーの協奏曲も、またカラヤンとのチャイコフスキーも発売されており、それらを通じて、私は、リヒテルが決してロシア以外のピアニストではあり得ないことを、更にはっきりと再認識させられた。

そして中でも、特にムラヴィンスキーと共演したこのチャイコフスキーの協奏曲に見せる白熱的とも言える打ち込みの激しさは、他の誰の演奏にも聴けなかったものである。

算出るリンクとのラフマニノフの第二協奏曲での情感の濃い演奏も、ロシア人であるリヒテルをおいて、他に誰が実現し得るだろう。

何回も再発を繰り返したこの二つの演奏は、既に録音の点ではかなり遜色を感じさせるし、またチャイコフスキーなど周到さという点から言えば、他にもっと整った演奏が幾らもあるが、しかし、これは私にとって、先に記したリヒテルの母親との劇的な再会の物語と共に、何か忘れられない印象を残すディスクの一枚なのである。

今回のCDとしての初登場は、ソビエトに録音されていたオリジナルマスター・テープから、改めてこの名演が生々しく蘇りを見せたものである。

※ 記: 家里和夫 (原文のまま。WEB上での読みやすさを考慮し、筆者が適当に句読点を追記しています)

チャイコフスキー ピアノ協奏曲 ライナーノーツより

【音楽エッセイ】 リヒテルの訃報に寄せて

1997年、リヒテルの訃報を聞いた際、雑誌の投稿用に書いたもの。

十歳の夏、交通事故で入院していた時、姉が「この曲、めちゃカッコイイで」と、一本のカセットテープを持って来てくれた。それはチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番だった。
ホルンに続く、地の底から湧き上がるようなカデンツァを聴いた時、「これこそ帝王の音だ」としびれた。
鍵盤を駆け抜けるような指の動きや、峻厳で力強い音の響きに、子供の私はただただ圧倒されるばかりだったのである。
退院して、レコードのジャケットを調べてみると、ソリストは「スヴャトラフ・リヒテル」──それが、私にピアノ協奏曲の魅力と、ピアノの底知れぬ魔力を教えてくれた最初のピアニストの名前だ。
以来、様々なチャイコフスキーを耳にしてきたけれど、結局は十歳の時に聴いた彼の演奏に帰っていった。
他の演奏をスラブの風に喩えるなら、彼の演奏は力強い激流。まるで内に渦巻くものが、一点の出口に向かって、ほとばしり出るかの如くである。
世にピアニストはごまんといるけれど、あの気高く、自尊心の塊のような楽器を完全に支配し──多くは、彼女の背中をむなしく追いかけるだけ──一音一音に込められた作曲者の心や、彼の生きた国や時代を鮮やかに映し出し、かつ弾き手である自分という人間をそこに織り交ぜ、生きた、独自の音楽を作り出せる者は少ない。 
リヒテルは、その一音で全てを語り尽くせる本物の演奏家だった。
もう彼の演奏を生で聴くことは叶わないけれど、その響きは時を越えて燦然と輝き続けるだろう。
さよなら、そしてありがとう。

【Spotifyで聴く】 リヒテル&ムラヴィンスキーの音源

こちらが私の聞いたムラヴィンスキー指揮の音源(1954年)。

第一楽章

第二楽章

第三楽章

【後期】 実際のリヒテルは穏やかな人だった

「帝王」「巨匠」と呼ばれるほど、リヒテル自身は貫禄たっぷりの偉ぶった人間ではなく、むしろ神経が細やかで、穏やかな人柄だったという。

(ちなみに、上記の雑誌投稿で採用されたのは、「リヒテルのコンサートで花束を渡した時、「巨匠」のイメージとは程遠い笑顔を見せて下さった」というエピソードでした。)

この頃のロシアの芸術家には悲惨な体験を持つ人が多い。

やはりソビエト政府によって父親を銃殺されたバレリーナのマイア・プリセツカヤ、姉が国外逃亡し、自らも強制収容所に送られたミッシャ・マイスキー、etc。

彼らの精神性の根幹にあるものは、自信や悦びや満足感ではなく、闇の底で洗い流されたような魂の光であり、慈愛であると思う。

今、ここに生きていることへの感謝。そして、生きとし生けるものすべてに対するあふれるような愛情。

音色と共に放射するその輝きに、人は涙し、この世で本当に美しいものは何かを知るのだ。

リヒテルが亡くなった時、彼に続くものをどこに見出せばいいのか、まるで偉大な潮流がプツンと切れたような空しさと失望感を覚えた人はきっと少なくないはずだ。

そして、彼の後継者と目されるピアニストは、未だ現れていない。

【おまけ】 世界最速のショパンのエチュード

こちらは世界最速(?)と言われるショパンのエチュードOp.10, No.4

これ早送りじゃないよね、と思わずツッコミを入れたくなるような演奏です。

リヒテル Chopin Etude Op10, No.4

CDの紹介

残念ながら、このCDは廃盤になって久しいです。
音源がかなり古いので、CD化されただけでも奇跡です。
演奏としては、カラヤン盤の方が圧倒的に有名だからでしょうね。
ムラヴィンスキー盤も古き佳き時代がしのばれて、非常に味があるのですが。
「若さとはなんぞや?」と問いかけたくなる、中年期の名演です。

リヒテル チャイコフスキー

ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 by 
 定価  ¥1,950
 中古 7点 & 新品   から

上記のムラヴィンスキー盤を抑えて歴史的名盤になってしまったカラヤン盤。
確かに、ラフマニノフの演奏は素晴らしいと思う。
しかし、チャイコフスキーに関しては、ムラヴィンスキー盤の方がよりドラマティックで、若々しい。
「リヒテルらしい・・」と私は思う。

チャイコフスキー&ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 by ユニバーサル ミュージック
 定価  ---
 中古 0点 & 新品   から

近年、新たにプレスされた、リヒテル&ムラヴィンスキーの『チャイコフスキー ピアノ協奏曲 第一番』。
カプリングは『ブラームス ピアノ協奏曲 第二番』
上記のライナーノーツで言及されているブラームスの録音が、多分、これのことだと思います。

ホロヴィッツは大の仕事嫌いの怠け者でビデオ鑑賞が大好きだった。誰よりもピアニストの近くにいる調律師である著者が、ギレリス、クライバーンなど偉大なピアニストたちの素顔を語る。

フランツ・モアさんというのは、スタンウェイが誇る調律師で、主にホロヴィッツのピアノの調律を手がけておられたんですね。
同じ「A」の音でも、ホロヴィッツは微妙な波長の違いを聞き分けることができたとか。
演奏会用のピアノのメンテナンスも非常に大切な仕事であり、「名演はピアニスト一人で成り立つものではない」ということを教えてくれる非常に面白い一冊。
ホロヴィッツのエピソードがメインなので、ホロヴィッツの好きな方にはこたえられない内容だと思う。
あと、世界的ピアニストでありながら、ソビエト政府の強い監視下に置かれ、狭いアパートでアプライトのピアノを弾いて練習していた誠実で信心深いギレリスや、巨匠リヒテルの意外に細やかな一面など、興味深い。

 ピアノの巨匠たちとともに (単行本)
 著者  フランツ モア (著), Mohr,Franz (原著), Schaeffer,Edith (原著), 菊子, 中村 (翻訳)
 定価  ¥593
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Photo : http://russkiymir.ru/en/publications/188297/

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