歩く人が多くなれば、それが道になるのだ 魯迅『阿Q正伝』

歩く人が多くなれば、それが道になるのだ 魯迅『阿Q正伝』

歩く人が多くなれば、それが道になるのだ 魯迅『阿Q正伝』

希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。
それは地上の道のようなものである。
もともと地上には道はない。
歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。

魯迅『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊) (岩波文庫)』

小学校の高学年の教科書に掲載されていた魯迅の短編。

タイトルも、物語も、覚えてないが、この一文だけは心に残り、折に触れ、思いかえしたもの。

それまで『道』というのは、既にあるものだと思っていたので、「歩く人が多くなれば、それが道になる」というのは非常に新鮮だったからだ。

実際、うちの近所のガソリンスタンドも、周りに雑草ぼうぼうの空き地に囲まれているのだが、皆が近道して、ぼうぼうの中を歩いていくため、いつしか、そこに一本の道が形成された。今では綺麗にブロックが敷き詰められ、本物の道になっている。

このように、歩く人が多くなれば、それが道になるというのは疑いようのない真理で、詐欺でも、ダイエットでも、ゲームでも、なんとか療法でも、やる人が多くなれば、それが道になってしまう。時には、正道となることがある。その道がどこに繋がろうと、どこを横切ろうと、そんなことはあまり関係ない。一人、二人と、歩く人が増えれば、我も、我もと、大勢が後に続くようになり、詐欺商法でも、いんちきダイエットでも、いつしかそれが正道のようになってしまうのは、案外恐ろしいことだ。

魯迅は、そういう意味で、この一文を書いたのではないだろうが、私には、そうした社会的意味も感じられる。

新しい主張も、メチャクチャな論法も、一人、二人が口にしたぐらいでは相手にされないが、五人、十人と、後に続く人が増えれば、それが正道になってしまう。

多くの人は、その道がどこに繋がるかなど、深く考えはしない。

皆、この道を行くから。

惰性と安心で後に続く。

その結果、崖に至る道が正道になっても、誰も責任を取らない。

所詮、道などというものは、大勢が歩くから道になるのであって、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。

大勢が、「これが道だ」といえば、それが道になるのだ。

*

そう考えると、「我が道を行く」というのもおかしな話で、道など元々存在しないのだから、厳密には、草ボウボウの荒野を行く、というのが正解だろう。

自分が歩くから、それが道になるのであって、我が道などというものは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない、はずだ。

言い換えれば、どこをどう歩こうと、自分が歩けば、それが道になる。

我が道とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上に我が道はない。自分が歩けば、それが道になるのだ。

*

結論。

好きに歩け。

魯迅の本と岩波文庫

上記の文章がどの作品の引用か、本当に記憶がない。

小学校の国語の教科書(光村図書)の、一番最後のページ、一番最後の節に記載されていたのは覚えているが、作品も、ストーリーもまったく記憶がなく、かろうじて魯迅という作者の名前を覚えているくらい。

というのも、作品自体、小学生には非常に退屈だった覚えがあるからだ。

これなら、「一切れのパン」の方がはるかに名作と思う。

敵軍に追われ、命からがら家に帰り着いて、くるくると包みを開けてみたら、「最後の一切れ」と思っていたパンは、実は木片だった、とういう感動のオチだ。

「どんなに飢えても、この包みを絶対に開けてはならない。なぜなら、これが最後の一切れのパンだからだ」というラビの言葉を信じて、どんな辛い時も耐え忍んだ若者。「いざとなれば、この包みを開ければいい。少なくとも、オレは、最後の一切れのパンを持っているのだから」という気持ちが支えとなって、苦難を生き抜いた。これぞ希望の象徴。老人の知恵だ。最後の「ありがとう、ラビ!」の一言は今も忘れられない。

それに引き換え、なぜ魯迅の作品はまったく記憶にないのか、自分でも分からない。

ただ、退屈だったという思いと、最後の一文『希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ』があまりにも強烈で、本編も吹き飛んだからだろう。

以後、この一節は、私の大きな教訓となっている。

詐欺のニュースを聞く度、いんちき療法の噂を耳にする度、どこぞで政変が起きたと話題になる度、『歩く人が多くなれば、それが道になる』と納得いったから。

一人の殺人も、100万人が支持すれば正義になるのと同じ。真理ではなく、数が道を決めるのだ――と。

この世は混迷の時代と言われるが、大勢が歩けば、それが道になるのは魯迅の時代と変わらない。

希望も道も、元々、あるものではなく、歩いた後で、それが道になったと、振り返るものではなかろうか。

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この一文は、『ことばの花束―岩波文庫の名句365 (岩波文庫別冊) 』にも収録されています。

私の中学時代の愛読書でした。

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