一つ一つの航海が心の糧

一つ一つの航海が心の糧 ~潜水艇の潜航準備とパイロットの心情

一つ一つの航海が心の糧

運命とミッション

洋上での作業は非常に危険で、多くの人手を必要とするものです。
地上で機材を動かす場合、揺れや横波を心配する必要はありませんが、洋上の場合、足下は絶えず揺れ動き、風も強いです。波が高ければ作業場に浸水しますし、海中に落下すれば命の危険もあります。
海洋調査のスケジュールを組んでも、一度、嵐に見舞われればミッションは中止、予定していた作業の半分もこなせず、運が左右する部分も大きいです。

本作では、海象も物事を達成する為の運の一つと捉え、『フォルトゥナ(運命の女神)の娘』であるリズが現場に幸運をもたらすエピソードを織り込んでいます。
古来より、『海の女神』や『海の妖精』の伝説は古今東西で語り継がれてきましたが、ハイテク機器のない時代、荒れた海は悪魔の所業を思わす凄まじいものだったに違いありません。

不思議な巡り合わせでアステリアに流れ着いたヴァルターですが、振り返ってみれば、一つ一つのミッションが成長へのステップであり、生きた証だったことに気がつきます。その時、その時、無意味に思えても、確実に力として身についていたのです。

一度は生きる気力も正義感も無くし、どうにでもなれの気持ちで引き受けますが、その過程で「自分が何ものだったかを思い出す」、それがこのパートの核です。

【小説の抜粋】 一つ一つの航海が心の糧

接続ミッションを前に、格納庫では潜航準備が進む。

潜水艇プロテウスを前に、ヴァルターは不思議な巡り合わせと心の旅路を思う。

関連のあるエピソード
・ 潜水艇のパイロットを目指す ~深海に魅せられて
・ 想像力で深海に潜る ~有人潜水艇の耐圧殻で夢見る生命の世界

【第二章 採鉱プラットフォーム】 のシリーズ

このパートは海洋小説『曙光』(第二章・採鉱プラットフォーム)の抜粋です。詳しくは作品概要をご参照下さい。


格納庫ではフーリエをはじめ十数人の作業員が潜航準備に取りかかっている。

ヴァルターの姿を見ると、

「えらく早いな。潜航は十時開始なんだから、もう少しゆっくりすればよかったのに」

とフーリエは気遣ったが、彼は軽く頭を振り、

「どうせブリッジにいても落ち着かない。それならここでゆっくりした方がいい」

と周囲を見回した。

プロテウスは梯子付の白い作業台に固定され、重要なミッションを待っている。それは彼の知っている海洋調査とは異なるが、鉱業を変える世紀の瞬間だ。

アル・マクダエルの構想が正しければ、プラットフォームによる海底鉱物資源の採掘は市場に劇的な変化をもたらす。これまでネンブロットの鉱山の地下でしか採掘されなかったニムロディウムが、完全自動化された採鉱システムによって海洋底からも回収できるようになれば、製造や流通はもちろん、鉱山労働や企業の在り方まで違ってくるだろう。そして、それはニムロディウム市場を寡占し、政治経済まで牛耳ってきたファルコン・マイニング社の一党支配を揺るがせ、新たな潮流を生み出す。

彼はクロムイエローの船体を見上げながら、「お前もずいぶん大きな仕事を任されたもんだ」と呟いた。

「地殻の割れ目を覗きに潜るのではなく、未来を繋ぐんだからな」

彼の脳裏に、プロテウスに出会ってから今日までの道程が懐かしく思い出された。

運航部に配属された日、操縦士長に分厚いマニュアルをどんと積み上げられ、「一週間でマスターしろ」と言い渡された。そして、その通り、機能や構造はもちろん、配線の一本一本、ボルトの位置や種類に至るまでつぶさに記憶し、すらすら諳んじてみせると、操縦士長は目を白黒させ、すぐに操縦席に座らせてくれた。

あれから何度潜り、何度見つけただろう。一つ一つの航海が心の糧だ。だが、それも長い人生のほんの一ページに過ぎない。この後も航海は続く。どこに行き着くのか、今は見当も付かないが。

しばしプロテウスの前に佇んでいると、「こいつも今日が見納めだぞ」とフーリエが後ろから声をかけた。

「見納め?」 

「そうだ。ミッションが終われば、プロテウスはノボロスキ社に払い下げる。当分、潜航調査はないし、今後の鉱物資源探査はすべて無人機で行うから、今日で一区切りだ」

「それは残念だな」

「プロテウスも今年で二十五歳、人間でいえば壮年期の終わりみたいなもんだ。いったんドック入りして、今後の活用を考えるそうだよ」

「海洋調査は?」

「運輸や土木がらみの沿岸調査は予約が目白押しだが、大水深を見るような学術調査は今のところゼロだ」

「もったいない話だな。ステラマリスとは違った発見があるだろうに」

「仕方ない。トリヴィア政府の目が全く向けられてないんだ。深海調査なんて個人でやれる規模じゃないし、公的機関がやるにしても予算は限られている。今は差し迫った需要もないから、プロテウスも当面用無しだよ」

「だが、マクダエル理事長の自費だろう?」

「だから、それをノボロスキ社に売却するんだよ」

「幾らで?」

フーリエが金額を口にすると、彼は目を白黒させ、

「それじゃ、タダ同然じゃないか」

「オレも最初に聞いた時は我が耳を疑ったよ。だが、今後の維持費や修理費などを考えれば、妥当という気もする。これからどんどん潜航調査の依頼が舞い込んで、傭船料もがっぽり稼げるならもう少し高くていいが、いわばノボロスキ社で用途の定まらぬ中古船をお守りするわけだからな」

「パイロットは?」

「今、公募をかけてるよ。新しく三人雇って整備のイロハから教育するらしい。お前はどうするんだ? ミッションの後もプラットフォームに残って採鉱を手伝うのか?」

「分からない」

「まあ、気楽に考えればいいさ。いざとなればノボロスキ社に来ればいい。プロテウスに関わる仕事なら、理事長も快くOKしてくれる」

「……そうだな」

「何にせよ、今日が終わりの始まりだ。海台クラストの採鉱に成功して利益が上げれば、我も我もと続くだろう。そうなれば、また海洋調査に弾みがついて、再びプロテウスが活躍する日も来るかもしれない。それもこれも今日のミッションに成功すればこそだ。bonne(ボン) chance(シヤンス)(幸運を)」

フーリエは彼の肩を叩くと、ファクトリーブースに向かった。

【リファレンス】 深海の有人潜水艇について

潜水艇の構造や潜航に関しては、ウッズホール海洋研究所の『Alvin』のドキュメンタリーが参考になると思います。

こちらはフランスの潜水艇『Nautile』の潜航の模様。このクロムイエローの船体が大好きなのです。深海にも、至る所に、雲仙や別府地獄めぐりみたいな所があるのです。ちなみに、本作ではJAMSTECの『しんかい』の手順を参考にしています。

こちらは無人機を使った深海調査です。前半部に、無人機のオペレーションの様子が映っています。本作では「ジム・レビンソンが泥酔して、後部甲板から海に落ちた」という設定ですが、採鉱プラットフォームもこんな感じで、柵のない場所がたくさんあります。特に重機や調査機器をランチャーするあたり。

北海で稼働している石油リグ会社のプロモーションビデオです。
洋上プラットフォームも一昔前は隔絶された世界でしたが、今はオンライン化で陸上の後方支援と密に連携し、リアルタイムの情報共有やオペレーションが可能です。
プロモーションビデオゆえ、ハリウッド風の演出になっています。

第二章 採鉱プラットフォーム Googleブックスで試し読み

水深3000メートルの海台に広がる海底鉱物資源を採掘する為、潜水艇パイロットのヴァルターは洋上プラットフォームの採鉱システムを接続するミッションに参加する。採鉱事業を指揮するアルの娘リズは彼に一目惚れするが、彼の態度は素っ気なく..。
Googleブックスで試し読みできます。

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