お説教ホラー映画『ソウ』~ジグソウが失敗したワケ

目次

シリーズ第一作目は紛れもなく傑作

第一作に関しては、紛れもなくB級ホラーの傑作です。

まさか、こんなところに、かつての美男俳優ケアリー・エルウィスが登場するとは夢にも思いませんでした。
参考→ 背徳の美愁・映画『アナザー・カントリー』~もう女は愛さない~

私は「シックス・センス」よりはるかに背中にきました。

でも、その後が悪すぎる。

どんどんタチの悪いスプラッタ・ムービーになって、最後の第七作目はヤケクソみたい。

このあたりは続編の宿命ですね。

第1作目は名作として語り継がれるけども、後のシリーズ6連作は柳の下のドジョウになるという。

私はスターウォーズの新シリーズも見てません。

助けてやれよ、オビ・ワン!! ジェダイの壮絶なイジメとアナキン』で脱力したから。

ダース・ベイダー=アナキンって、こんな少女漫画みたいな軟体だったのかと思うと、旧三部作のあの威厳は何だったのかと泣きそうになります。ついでに、ナタリー・ポートマンは、全然、『ルークの母親』というイメージではないし。。。実力派の女優さんには違いないけど、『LEON』での役回りが釈然としなくて、苦手なんですよね。(本人が、ではなく、役のイメージが、です) 私の中ではエマ・ワトソンと同系列かな。最近のハリウッド女優も役柄よりは『本人』が前面に出るようになって、なんか、どうも苦手なんですよね。シュワちゃんみたいに、本人の思想はどうでもよくて、シュワちゃんの顔を見れば、すぐさま「ターミネーター」の世界に入っていける、そういうのが理想です。そんな事を言い出せば、映画に限らず、作家でも、ミュージシャンでも、作品より『オレ』が前面に出る人が主流になりつつあるんですけどね。ちなみに、皆さん、宮崎駿やスティーブン・スピルバーグや池田理代子がどんな思想を持っているか、本人の口から直接聞きたいですか? 私は興味ないです。だって、ナウシカやE.Tやベルばらを見れば、分かるから。……アーティスト本人は黙ろうよ、と、時々、思います。それは『主張するな』という意味ではなく、あまりにも本人が作品より前に出すぎると、興ざめしちゃうんですね。『喋りのオードリー・ヘプバーン』みたいに。オードリーが、ローマの休日やティファニーのイメージより前に出て来て、「私が、私が」と主張しだしたら、興ざめするでしょ。それと同じ。

前置きがすっかり長くなりましたが、『ソウ』の第一作目は、一度は見るべき映画です。

これこそ、ネタバレしたら、映画ファンに粛清されるレベルですね。

だから、皆さんも、楽しく騙されて下さい。

本当に面白いですよ。

↓ なんでこんなキモイ人形を生まれてくる子供のために買うのか、わからん・・・
ソウ ジグゾー

ジグソウの論理で罪人は救えない

なぜ『ソウ』は陳腐なスプラッタ映画に成り下がったのか

2004年に公開されるや否や、ホラー映画としては異例の興行収入を記録し、ついに2010年のシリーズ7作をもって完結した、お説教ホラーの金字塔、映画『SAW(ソウ)』。

意表をつく展開で、ホラー&サスペンス好きは必見と言われたこの映画。

私も最終話の『3D ソウ・ザ・ファイナル』を映画館で観て興味を深め(なぜ映画館に行ったかといえば、夫婦喧嘩の後、家に居たくなかったからですよ。こういう時はド派手なアクションやホラー映画で憂さ晴らしするのが一番です)、その後、第一作から第六作まで、シリーズ全作をマラソン鑑賞しました。

伝説的な第一作はともかく、その後の続編は、取って付けたようなエピソードと残虐シーンのオンパレードで、プリングルスのチップス缶を一気食いしたみたいに、お腹いっぱい。

ジグソウを演じたトビン・ベルのナツメウナギみたいな顔だけが、心に深く刻まれたのでした。

(それでも一気に見てしまうほど、スピード感があって、面白かったのですが)

確かに、2004年度版『ソウ』(第1作)は非常に野心的で、ラストシーンも胸のすくような出来映えでしたが、その後の展開はレビュアーの皆さんが仰る通り。

取って付けたようなエピソードが続いて、緊張感が薄れる一方、殺人場面は残虐性を増し、もはや悪趣味の極み。

シリーズ半ばで、肝心のジグソウが死んでしまった為に「被害者を死と向かい合わせて、命の大切さを説く」という動機にも説得力がなくなり、笑いのネタも尽きた『シュレック』みたいに退屈なシリーズになってしまいました。

もちろん、制作サイドもバカではなく、人気凋落を察すると、本来、「8作目」まで予定していたプランを「7作」に切り上げ、今後、絶対に続編は作らないという約束のもと、「ソウ・ザ・ファイナル」という邦題で公開されました。

DVD-BOXも、『7枚セット』で定価5000円くらいなら売れるでしょう。

もっとも、制作者の言う「今後、絶対に続編は作らない」が嘘八百であるのは、賢明なるヤマトの諸君なら、みな知ってることですが。

そして、実際、2017年に『ジグソウ:ソウ・レガシー』が公開されました。

しかし、第一作の出来映えがどれほど素晴らしく、続編も暇つぶしには最適としても、オチを知ってしまったら、何度もじっくり見返そうという気にならないのが、デヴィッド・フィンチャーの映画『セブン』と大きく異なる点です。
(参照 → 神への回帰と殺してもいい権利 映画『セブン』と七つの大罪 

『ソウ』も『セブン』と同じく、「ポリシーをもった猟奇殺人」「被害者を死と向き合わせることで改心を迫り、生命の尊さを認識させる」をテーマにしていますが、『セブン』の場合、モーガン・フリーマンの演じる刑事に「犯人の思想の、どこが間違いなのか」を明言させており、見終わった後も、簡単に白黒が付けられない命題を心に投げかけるからです。

その点、『ソウ』は、常にジグソウの側から主張がなされて、被害者は弁明の機会すら与えられません。

捜査する側にも、「刑事事件」を超えた見解はなく、ネズミ取りのようなドタバタを繰り返すだけです。

一見、筋が通ってそうなジグソウの主張も、もっと高い視点から見れば、決定的な誤りがあること。

そして、その誤りゆえに、ジグソウも、その思想も、ともに滅びる運命にある……という点を描いてくれたら、もっと哲学的な作品になったでしょうに、『ソウ』はそのような方向には進まず、ただただ肉体が破壊され、被害者が泣き叫ぶのを楽しむだけのスプラッタ連作に成り下がってしまいました。

というより、最初から、そんな高い志はなくて、第一作目が当たったから、似たようなノリで続編も作ったというのが本音なのでしょうけど。

死と向かい合うことで、命の尊さを知る

とはいえ、ジグソウの命題も、 『セブン』に負けず劣らず、非常に興味深いものです。

このナツメウナギは、自分自身が死の恐怖を体験したことから、命の尊さを知らしめるべく、命を粗末にする愚か者を拷問にかけ、「自分の腕を引きちぎっても、生きる方を選ぶか、さもなくば死か」というゲームを強要するわけですが、それも確かに一理あります。

なぜなら、人は当たり前のように今という瞬間を生き、命に感謝しないからです。

それどころか、時間を無駄にし、酒や薬物で自らを痛めつけ、時には、隣人を苦しめたりします。

このような愚か者に、道理を説いても、理解する筈がありません。

何故って、感謝の気持ちも、自制心も、皆無だからです。

だから、分からせてやる。

命がいかに尊いか――本当に生きる意志があるかどうかを、絶体絶命の『トラップ』の中で悟らせる。

それがジグソウの狙いなんですね。

たとえば、「硫酸入りビーカーの底に沈んだ鍵を素手で掴み出す」「皮膚に食い込んだ鉄の輪を引きちぎって爆弾解除のボタンを押す」「瞼の裏に縫い付けられた鍵を自分で目玉を切り開いて取り出す」といった究極の選択を迫って、心を試します。

本当に生きたいと思うなら、自分で足を切り落としてでも前に進め。

それがジグソウの主張であり、彼流の『心のリハビリ』なのです。

『セブン』の猟奇殺人犯、ジョン・ドウも同じことを言っています。

現代人に物を言って聞かせるには、肩を掴んだぐらいではダメだ。ハンマーで頭を殴らなければならない」。

それぐらいやらないと現代人の傲慢は直らない、という喩えです。

だからといって、拷問が正当化される理由にはなりませんけどね。

死のトラップを克服しても、人間は変わらない

ところで、死のトラップを克服した人々は、ジグソウの狙い通り、命に感謝して、幸せになったのでしょうか。

このあたりも続編で少し描かれていますが、「生き延びた人々」は、瞬間的に生命の高揚感を覚えただけで、本質的には何も変わっていません。

ひねくれ者は、いつまでもひねくれた思考のままだし、復讐に取り憑かれた人間は、結局、人を痛めつけることにしか意義を見出せません。

ジグソウの亡き後、「二代目」を自称するアマンダとホフマンがことごとく滅び去ったのも、異常な状況下で身に付いたものは、案外、長続きしないからです。恐怖や暴力、悲嘆、喪失、等々。

「自分の足を切り落とすか、そのまま死ぬか、どちらか選べ」という状況下で、たとえ自分の足を切断して生き延びたとしても、命あることに感謝し、慈愛の人になるかといえば、むしろ逆で、屈折した体験が、心も屈折させ、おかしな思想に取り憑かれる可能性の方が大きいでしょう。

誰とは言いませんが、怪しげな教えを広めて、社会の害悪になっている人も少なくありません。

ゆえに、命のゲームを迫るジグソウの思想より、人間の「どうしようもなさ」を寛容に受け止める神的な愛の方がはるかに支持され、長続きします。

第六作で、死のトラップから逃れる為に、やむなく自分の腕を切り落とした女性が、二代目ジグソウであるホフマン刑事に、「(このトラップによって)何かを学んだか?」と問われ、「『学ぶ』ですって? 私を見てよ! 酷い目に遭って、腕をなくして、何を学ぶっていうの?!」と食ってかかるシーンがありますが(この女性は、第七作でも、「ジグソウのトラップによって、命が蘇った生存者の集まり」で恨み言を言う)、まさにその通り。

教養や強制によって、一時、人の考えを変えることに成功しても、根本から変えることはありません。

なぜなら、人は「生きろ」と迫られるよりも、「愛してる」と言われた方が、はるかに勇気を与えられるからです。

*

ともあれ、第7作でようやく決着がついた映画『ソウ』。(ああ、そうですか、というのはギャグ)

手の込んだ拷問より、ジグソウを演じたトビン・ベルの素顔の方がはるかに怖かった(笑)

あんなヤツメウナギみたいな顔をした役者さんでも生き生きと活躍する場があるなんて、やはりハリウッドは奥が深いと、改めて見直した次第です(褒め言葉です)。

Live or Die. Make your choice

このテーマは名曲ですね。

Live or Die. Make your choice (生きるか、死ぬか、選べ)の名台詞に合っていると思います。


ちなみに、Choose(選べ)という動詞の命令形ではなく、Make your choice  直訳すれば、「選択を作りなさい」と、より使役を促す言い回しになっているのがポイントです。

単純に「選ぶ」という行為よりも、「自分自身が選択の結果を作り出す」という示唆の方が強烈だからです。

Makeというのは、日本人が想像する以上に強い意味合いがあって、よくいわれる『Make Love』も、単なる Love より、意志的なニュアンスが強くなります。

Make him explain

Let him explain

どちらも「彼に説明させよう」という意味合いですが、Letが「彼に説明させましょう」と、彼の自主性に任せるのに対して、Makeは、「ヤツ(彼)に吐かせろ」ぐらい強い意味合いになりますからね。

英語初心者は、使役の英文を作る時、ついつい make を使ってしまいますけども。

つまり、Make your choice も、『選択を作る=その結果も自分自身で請け負う』みたいな意味があって、単なるChoose(選ぶ)よりはるかに強い。

ゆえに、生きるか、死ぬかを選ぶ、究極のゲームにふさわしい決め文句なんですね。

DVDと動画

「ソウ」はエンターテイメントとして楽しむにはもってこいの作品ですが、血しぶき、生首、ハラワタ系が苦手な人にはオススメしません。

また家族や友達と一緒にわいわい楽しむ作品でもないです(映画館はいいけどね)。

深夜1人でひんやりしたい時。

日頃のストレス解消に強い刺激の欲しい時。

とにかく退屈という方におすすめです。

正直、オチを知ってしまったら、二度も三度も繰り返し観たいとは思わない作品ですが、一度は観ておくべき映画。

どれくらいの衝撃度かといえば、『シックス・センス』の「ああ、なるほど」の遙かに上を行きます。

今でも第一作目の信奉者は多いですよね。私もです。

話は唐突に、「古いバスルーム」「鎖に繋がれた二人の男」「男たちの間に頭を撃ち抜いた死体」というシチュエーションから始まります。

「一体、なぜ、こんな所に……?」という、男二人の記憶を辿る形で、物語は進行します。

おそらく、話の9割は、誰もが予想できる範囲ですが、最後の1割で引き裂かれますね。

思わず拍手したくなるような、見事なエンディングです。

私も、たいがいのホラーやサスペンスには免疫があるのですが、このエンディングは本当に感動ものでした。

第二作も、意外な展開で、完成度は高いです。

最後のオチをついつい言いたくなりますが、言ったら未見の人に死ぬまで恨まれそうなので、黙ってます。

ジグソウの思想がより色濃く描かれ、シリーズ全作を理解する上で重要な手がかりとなります。

ソウ2 【廉価版1,890円】 [DVD]
出演者  ドニー・ウォールバーグ (出演), ショウニー・スミス (出演), トビン・ベル (出演), グレン・プラマー (出演), ディナ・メイヤー (出演), ダーレン・リン・バウズマン (監督)
監督  
定価  ¥250
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本作は「生きる意志」ではなく、「許し」にスポットが当てられます。

一見、被害者の殺人ゲームのようですが、実は……な展開もなかなか秀逸。

ソウ3 【廉価版1,890円】 [DVD]
出演者  トビン・ベル (出演), ショウニー・スミス (出演), アンガス・マクファデン (出演), バハー・スーメク (出演), ディナ・メイヤー (出演), ダーレン・リン・バウズマン (監督)
監督  
定価  ¥191
中古 21点 & 新品  ¥1 から

この後の続編は、賛否両論、分かれるところ。

「ガラスの仮面」と同じく、「ここまで来たら、最後までお付き合いするか」という感じで見続けた人も多いのでは。

というのも、やはり第三作で本家ジグソウが死んでしまったから。

第四作から第六作にも、回想としてジグソウは登場しますが、実際に動き回っているのはホフマン刑事。まったくイメージが違います。

このホフマン刑事がもっと魅力的なキャラクターなら、人気も盛り返したのでしょうけど、これといった思想も動機もなく、自己満足のためにジグソウを名乗る、ただのルサンチ野郎なのでまったく感情移入できません。

存在感もイマイチだし、「なんで、そこでアンタが出てくる?」と突っ込みたくなるほど説得力に欠けます。

もっとも、そういうキャラクターだからこそ、最終話ソウ・ザ・ファイナルの、あの結末があるのですが。

ともあれツッコミどころ満載の『ソウ』シリーズ。

通して観る価値はあると思います。

第一作で登場したアマンダの『バックベア・トラップ』が正常に動作すれば、人間の頭はどんな風になるのか、『ソウ・ザ・ファイナル』で分かって納得したファンも多いんじゃないでしょうか。(元嫁、カワイソすぎ)

ちなみに、元看護師の私は、第二作で登場する「使い古しの針付き注射器で埋まった床下」が一番怖かったです。
注射針って、全面鋭角に研磨されているので、ちょっと刺しただけでも、めちゃくちゃ痛いんですよね。
皮膚も筋肉も、面白いほどよく切れますし。

ちょっとでも興味が湧いたら、できれば連休の夜を利用して、一気に観ちゃってください☆

↓ 私はPART3の豚汁責めが一番衝撃的でした。見ているだけで臭う。


初稿: 2010年11月23日

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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