政治的な革命というのは部分的な革命にすぎない。全人的な意味での革命とは、本当に自分が望んでいることがなにかを知ることから始めなければならない。
- 言葉が眠るとき、かの世界がめざめる -
両手いっぱいの言葉―413のアフォリズム (新潮文庫)
政治でも、企業でも、「変わろう、変わらなきゃ」という掛け声はよく聞かれるが、突き詰めれば、『どうなりたいか』という問いかけは、あまりなされなていないような気がする。
とりあえず、こういう業界だから、世界のトレンドはこうだから、これが強みだから、誰某がいいと言っているから、etc。
目先の目標だけを追いかけて、今やれること、実現できそうなこと、可能性が高いこと、等から答えを選ぼうとする。
だが、肝心な「どうなりたいのか」という根源が明確でないので、結局は迷走する。
「どうなりたいか」は理想であって、現実的ではないという意見もあるが、そもそも「どうなりたいか」という理想を欠いて、どんな優れた現実を作り出せるというのだろう。
「自分の望みがわからない」というのは、突き詰めれば、高次な展望を欠いている、ということだ。
革命に成功するか否かは、方法ではなく、何を目的にするかに依る。
「変わろう、変わらなきゃ」という掛け声が空回りするのは、失策というより、理想の欠如。
自身のことも、どうあるべきかも、分かってない。