雪というのは、優しい暖炉の傍らで、温かい紅茶を頂きながら、窓越しに見るから美しい。
右手に2.5㎏のジェムナツキ(じゃがいも)、左手に直径17㎝の片手鍋とキャベツ一個、その他いくつかの野菜や果物、豚肉のブロックを持って歩く身には、決して美しくない。
雪が深く降り積もった日は、一歩前に進むだけでも往生だし、少し気温が上がって一気に雪がとけ出した日には、道全体が泥水に浸かったようになる。
まるでチョコ味のマックシェイクかスムースの上を歩いているようだ。
零下にもかかわらず、汗だくになりながら雪道を歩いていると、、物事というのはその中に入ってみないと分からないものだとつくづく思う。
電車の窓から、あるいはホテルの窓から眺めている分には、雪化粧のポーランドはさぞかし美しいだろう。
だけど、その中で、毎日スーパーに通う身になれば、旅行会社のパンフレットなんてクソっくらえだと思う。
観光用の写真には、マックシェイクと化した泥だらけの雪道なんか映したりしないから。
「生きていく」という事は、「眺めること」とはまったく違う。
観光パンフレットの美しい雪景色の中に足を突っ込んで、泥だらけになって歩くことだ。
心地よいスイートルームから抜け出して、髪も凍りつく風雪の中を歩き続けることだ。
そうして風の強さと雪の汚さを体験して初めてポーランドの冬を本当に知ることができる。
何だって外から眺めている分には美しいものだ。
風に吹かれて、泥だらけになって、汗を拭った後にふと気付く「何か」にこそ美しさを見つけたい。
窓越しには分からない、生きた美しさをこそ。
記:03/02/20 (木)