なぜ小児性犯罪には厳罰が科せられるのか 映画『世紀のスクープ スポットライト』

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【映画レビュー】 新聞紙『スポットライト』が暴く子供の性的被害

邦題『世紀のスクープ スポットライト』は、小児性犯罪を正面から見つめ、カトリック教会という聖域に踏み込んで、世に訴えたボストンの新聞紙『スポットライト』の奮闘を描いた実話である。

本作は、数々の映画賞を総なめにし、第88回アカデミー作品賞も受賞した。

出演者も大物スターではなく、マイケル・キートン、リーヴ・シュレイバー、マーク・ラファロといった渋メンばかりだが、それがかえって作品に深みを与え、静かな怒りを醸し出している。

だが、なぜ『小児性犯罪』なのか。

物語を追いながら検証したい。

*

ボストンの日刊紙『ボストン・グローブ』に新編集長として迎えられたマーティ・バロン(=リーヴ・シュレイバー)は、同紙の取材チーム「スポットライト」のウォルター・ロビンソン(=マイケル・キートン)と会い、地元カトリック教会の神父による子供への性的虐待事件を取材するよう持ちかける。

事件担当の弁護士は変人で知られ、被害者もその家族も固く口を閉ざしたまま、実態は闇の中だ。

これといった証言も得られぬまま、調査は難航しそうに見えたが、『生存者』と名乗る男性をきっかけに突破口が開ける。

男性は言う。

貧しい家のこには教会は重要で神父に注目されたら有頂天
自分を特別な存在に感じる 神様に親切にされたと思う

神父の卑猥な冗談を変だと思う でも秘密を守るために受け入れる

次はポルノ写真をみせられる どんどん深入りして

命令されて黙ってそれに従う

神父に可愛がられて罠にはまるんだ

神様に嫌と言えます?

これは肉体だけでなく精神の虐待なんです。

精神的虐待であると被害者の証言

(性的被害にあった子供たちは)

神父に虐待されて親交さえ奪われてしまう

酒や薬に手を出したり、飛び降り飛び降り自殺したり

だから”生存者"なのです。

男性との面談を皮切りに、改めて個々の被害者と面談を始める取材チーム。

マイクは、性的被害者の弁護を担当するガラベディアンの仲介で、被害者の一人と面談する。

神父が言えに訊ねてきて、神様が現れたんだから

アイスを貝にゆこうと 奴は神父だ 従うしかない

帰りの車の中で 俺の脚を触りだした

奴の手が滑ってきて、俺の性器を握った

俺はびっくり仰天して固まってしまった まだ子供だったから

アイスは食べるまえに溶けてしまったよ

告白する彼の腕には、無数の注射の跡がある。おそらく、心の苦しみから逃れる為に、ドラッグに走ったのだろう。

ガラベディアン弁護士は言う。

彼は幸運な方だ。まだ生きている

被害者は生きているだけで幸運

一方、サーシャはゲイの男性と面談をする。

シスターが家庭に問題のある子を集めて会を開き、そこで神父に出会った。

最初はすごく優しかった 面白くて友達だった
ボクがゲイだと気付くと 短冊が下がったモビールを見せた

その短冊には 同性愛 性転換 両性愛と

少しおじけづいた

神父はそれに気付いて 服を脱ぐゲームをしようと

当然ボクが負けて そこから始まった

具体的に言うと……ボクにいたずらを

身体が気持ちよくなるぞって 

神父が服を脱ぎ捨て ”私の性器を舐めて元気にしてくれ”と

ボクがなぜ従ったのか理解できないと思うけど

ゲイだと認めてくれたのは彼が初めてだった しかも神父だ

ボクは混乱した 今はようやく立ち直ったけど

混乱もするさ そんな初体験をしたのに 男性を嫌いになれない

ごめん やっぱり無理

被害者の心の傷は癒えない

このケースを長年調べている専門家は言う。

ターゲットとなる子は、貧困、父親不在、家庭崩壊など、問題を抱えた子供たち。

羞恥心が強く 寡黙な子を選んだ

彼らは捕食者(プレデター)なんだ

公表したが教会に潰された

加害者は従順な子を選ぶ

ガラベディアン弁護士は言う。

同じ人間なのに 子供の育て方は最低
私が得た教訓は
”子供を育てる者は虐待もする”

また別の関係者は言う。

教会の秘密主義者が小児性愛者を世間から隠している

組織に焦点を絞ろう 個々の神父じゃなく 熱意と用心深さで教会の隠蔽システムを暴け
教会が同じ神父を何度も転属させ それが上の指示で行われていることを

標的は教会組織だ

教会のシステムを暴く

一方、マイクは卒業校の後輩と会う。

タルボット神父の話になると、彼の顔が苦痛に歪む。

立派な大人に成長しても心の傷は癒えない

マイクいわく、

優秀な男で 妻も子供もいて 仕事も成功 だが少し話をすると
突然 泣き出した
なぜタルボットはボクに目を付けたのか、と

神父はホッケーの監督だった
つまり 運がよかったんだ
キミと俺は 

最初は神父の悪事を摘発するつもりで始めた取材だが、彼らの怒りは次第に社会的義憤に高まっていく。

ここは俺たちの町だ
誰もが何かあると知りながら 何もしなかった

皆の無関心が被害を拡大する

手続き上の困難や教会側の妨害を乗り越えて、いよいよ記事が完成すると、マーティ・バロン編集長は皆を集めて言う。

私達は毎日 闇の中を手探りで歩いている
そこに光が射して初めて間違った道だと分かる
以前何があったかは知らないが 君たち全員本当によくやってくれた
この記事は間違いなく多くの読者に大きな衝撃を与えるだろう
これこそ我々ジャーナリストがすべき仕事だ

ジャーナリストとして記事を書くべき

記事は多くの読者に届く

その反響は言わずもがな。

『スポットライト』の事務所には次々に電話が鳴り響き……

映画はここで終わっている。

今もなお続く子供の性的被害

その後、 同紙はピューリッツァー賞を受賞し、カトリック教会にも大きな波紋を投げかけたが、子供に対する性的被害は内外を問わず、今も続いている。

何をもって被害といい、何をもって加害とするか、客観的に線を引くのは難しい。

身体を触られても、衣服を脱がされても、大人が「親愛の情」「ふざけただけ」と言い切ってしまえばそれまでだし、大人の目には十分に犯罪でも、子供自身がそうと認識しないこともある。小学生以下なら「くすぐったいことされた」ぐらいにしか思わないし、子供らしい羞恥心によって秘密にされることもあるだろう。

だからといって、大人の行為が許容されるはずもなく、物言えぬ子供たち、抗う術をもたない幼子に代わって、周りの大人が注意深く守る必要がある。

悩みを打ち明けやすい環境作りはもちろん、大人社会の利益優先で見て見ぬ振りしたり、なあなあで済ませるのは、犯罪に間接的に手を貸しているのと同じではないだろうか。

相手が無力で、社会的発言力をもたないのをいいことに、一方的に性を搾取するのはもっとも卑劣な行為である。

世界的にも、小児性犯罪に対して厳罰が科せられるのは、そういう理由からだ。

問題提起のごとに、やれ規制だ、独裁だと、過剰に反応するのではなく、一度、子供の立場に立って、世の中を見回してみよう。

もし、彼らに一人前の口がきけるなら、「そんな事はしないで欲しい」と声を大にして訴えたいことも数多くあるはずだ。

レイプが魂の殺人といわれるように、子供に対する性的いたずらも、それに相当する。

相手が物言わぬからといって、大人の都合だけが優先され、子供目線での議論がなされないのは、あまりに社会的配慮に欠くのではないだろうか。

参照記事
ローマ法王が謝罪、聖職者による性的虐待の実態

1980年代、チリの首都サンティアゴにある教会で、フェルナンド・カラミナ司教(当時)は複数の児童に対し、性的虐待を繰り返した。2011年に聖職を剥奪されたが、法的措置は受けなかった。

フランシスコ法王は今年1月、チリの大統領府を訪問した際、この問題について触れ、「苦悩と恥辱の気持ちを表明したい」と謝罪。犠牲になったチリ人男性3人を、後にバチカンに招いた形だ。

3人はフランシスコ法王との数時間にわたる会談後、記者会見で、〝伝染病〟の撲滅を訴えた。「我々は約10年間、教会の性的虐待と隠蔽(いんぺい)について闘い続けるあまり、敵と見なされてきた。(中略)緊急措置を取らなければ、すべてが形骸化してしまう」

<中略>

聖職者によるこうした事件は、氷山の一角に過ぎず、教会側の黙認や否認などで、これまで多くのケースが隠蔽されてきた。今回、法王と面談したチリ人男性3人は、口をそろえて言う。

DVDとAmazonプライムビデオの紹介

ドキュメンタリータッチのマットな映像もいいですが、編集長リーヴ・シュレイバーの声が渋みのある低音で、声を聞いているだけでウットリします。マイケル・キートン、マーク・ラファロも落ち着きがあって、さすがの存在感。
昨今の映画にありがちな色恋やセクシー描写も一切なし。女性も男性も黙々と取材にいそしみ、記事の完成に全力を尽くす。
深く静かな義憤がひしひしと伝わってくる良作です。
吹替版も、低音俳優に合わせて、大塚明夫、宮内敦士、牛山茂など、渋好みの声優揃い。さすがの演技です。

スポットライト 世紀のスクープ (字幕版)
出演者  トム・マッカーシー (監督)
監督  
定価  ¥500
中古 1点 & 新品  ¥500 から

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カラマーゾフの兄弟から

以下は、ドストエフスキーの名作『カラマーゾフの兄弟』からの抜粋。

「ぼくはもう一度はっきり断言しておくがね、かなり多数の人間には一種特別の性向、つまり幼児虐待の嗜好があるんだ。それも、相手は幼児にかぎられている。それ以外の一般の人間に対しては、この同じ虐待者がむしろ親切で柔和な態度を見せるくらいで、いかにも教養ある、人道的なヨーロッパ人といった感じなのだが、そのくせ子供をいじめるのは大好きだ、いや、その意味では子供好きとさえいえるほどなのさ。つまり、幼い子の身を守るすべも知らないたよりなさ、それが虐待者の心をそそるのだし、どこへ逃げ隠れようもなければ、だれかにすがりようもない幼な児の天使のような信じやすさ、それが加虐者のいまわしい血潮をたぎらせるんだね」(309P)

19世紀にすでにこうした分析があったのも興味深い。
言い換えれば、それだけ根強い人間の本能でもある。

初稿 2018年2月21日

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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