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辛いときほど一緒に居てみよう ~どんな時も手を離さずに~

辛いときほど一緒に居てみよう ~どんな時も手を離さずに~
あなたに知って欲しいこと

特別なことなど何もしなくていい、「親だから」と身構える必要もない。「ただ一緒に居る」ことが子供にとって救いになることもある。子供の「あっちに行け」は「今だけ放っておいて、でも心は見捨てないで」の意味。

sanmarie*com 恋と生き方のエッセー

最近、婦人公論のバックナンバー(2006年7月7日号)で、エデュケーション・ライターの長田百合子さんの記事を読む機会がありました。
私は全然存じなかったので、どういう方なのかネットで調べてみたのですが、批判や悪口が大半で、情報としてはあまりに一方的すぎて役に立たなかったのですが、それに関連する記事として、次のようなものを見つけました。

『Yahooの知恵袋』に掲載されていた「不登校への対応」という相談です。

質問内容は・・

不登校の高校2年生の娘のことです
不登校になった原因はただ無気力になったからだと思います
学校、友達、部活、何も問題ないのです
カウンセラーには、心が疲れているから 好きなようにさせなさい と

・・・ほんとうにすきなようにさせておくことがいいのか、かの有名な長田百合子さんような
方にお願いしてビシ!とやってもらったほうがいいのか
私は最近カウンセラーを信じる心が揺れてきています
先日ここで修学旅行についても質問させていただきましたが

といった事だったのですが、それに対する回答の中に、

途方もない大金を請求される上に、親子関係はほぼ破壊されます。
子どもにとってみれば、これ以上ないというくらい侮辱された上に
親に見捨てられたという気持ちになり、こころはボロボロに傷つきます。
それでも学校に戻ればまだいいのかもしれませんが、失敗すると目も当てられません。

不登校は、子どもの問題のように思われますが、実は親の問題の方が大きいんですね。
それは、育て方がどうのこうのということではなく、目の前のわが子の状態を受け入れられないという問題です。
子どもを親の受け入れられるように変えるのか、親自身が変わって子どもを受け入れるのか。
そういう問題でもあるのです。

よく誤解されているのですが、カウンセラーは、親が自分の気持ちを少しでも楽にしたり整理したりする手助けをしてくれるもので、子どもを親が望むとおりに変えてくれる魔法使いではありません。
ましてや、病気ではないのですから、薬が効くはずもないことは、ご経験されたとおりです。

といったものがありました。

私は、それを読んで、人気漫画家・吉田秋生さんの代表作『カリフォルニア物語』の一節を思い出しました。

この作品は、厳格な大物弁護士の父親(両親は離婚)と非常に優秀な兄を持つハイティーンのヒースが、学校の重圧と父親への反発からドラッグに手を出すようになり、廃人になりかけたところを、たまたま旅行に来ていた通称『インディアン』との出会いがきっかけで、ニューヨークに家出し、ゲイやチンピラ、ホモの同居人らとの関わりを通じて、大人になっていく――という、クールでリアルな青春物語です。

ヒースを追い込んだのは、真面目を絵に描いたような、社会的には立派な父親なのですが、彼が親友にこぼす、

「あれの考えていることは、さっぱりわからん。いったい何が気に入らないのか」

という悩みに対して、親友が答える、

「そんな自信たっぷりに育てられたら、子供だってたまらんさ」

というセリフが、子育てを語ったものの中で、私が一番好きなものです。

(それに関する記事は、こちらに書いています → 『自信たっぷりに育てられたら、子どもだってたまらんさ』(吉田秋生のカリフォルニア物語より)

そんな親の心を逆撫でするように、ヒースの反抗はますますエスカレートし、さすがの父親も完全にお手上げになります。

そんなある夜のこと、自宅の一室で、父親の親友が、父親にこう持ち掛けます。

「どうしても面倒みきれないというのなら、あの子をオレにくれないか。
オレ達夫婦には子供がない。
幸い、あの子も、オレを気に入ってくれているようだし、オレ達なら上手くやれるんじゃないか」

それに対する父親の回答は、

「仕方がない。あれ(ヒース)がそう望むなら……」

そのやり取りをドアの向こうで聞いていたヒースは、その一言で決定的に心を引き裂かれ、夜の街に飛び出します。

そして、ドラッグの過剰摂取で昏睡状態に陥り、病院に担ぎ込まれるのです。

病床に横たわるヒースの姿を痛ましく見つめながら、親友は言います。

「酷いことをしてしまった。ヒースは多分、オレたちのやり取りを聞いていたのだろう。

そして、今度こそ、本当に、お前(父親)に見捨てられたと思ったに違いない」

今、本が手元にないので、セリフなど細かい部分はうろ覚えになっていますが、ヒースと父親の関係を決定づけるエピソードとして心に残っているものです。

この『カリフォルニア物語』や上記の回答のみならず、子供との関係が悪化したり、ストレスや疲れで途方に暮れてしまったような状態の時、「子供と距離を置く」という考えになる方って、案外、多いですよね。

「しばらく実家に預けてみたら」
「子供を保育園に預けて、外に働きにでてみたら」

育児相談などでも、そういうアドバイスをよく目にします。

確かに、距離を置くことで心理的な負担は軽減するし、それがリフレッシュになって、新しい気持ちで子供と向かいえるなら、それも一つの方法として有効なのかもしれません。

しかし、ヒースのように、どれほど荒れていても、親に反抗しまくっても、子供ってやっぱり振り向いて欲しいんですよ。
親の関心が欲しいし、「やっぱりボクのことが大事なんだ」という確信が欲しいんですよね。

親は「何が悪いんだ?」って、躍起になって理由を探そうとしますけど、そんな事は当の本人にもよく分からないんですよ。
今までのいろんな悩み苦しみが複合的に絡まって、自分でさえも、自分の気持ちが分からなくなっているのですもの。
そんな時に、あれこれせっつかれて、「何が、どうなったら満足なんだ」と追及されても、「これ」と指をさすこともできない。まさに表現のしようがないんです。

そうなると、親は投げ出したくなりますよね。

「こんな子は、訳が分からない。もう自分の手には負えない」
「何処へでも好きな所に行って、好きにすればいい」

そして子供も、「あんた達の世話にはならない」と、ますます頑なになり、背を向けてしまう。

こうした『家庭内断絶』は、いずれ見栄や意固地、執着といった形で現れ、仕事や恋愛、社会関係などに大きな陰を落とすようになります。
心が不安定になれば、力量や才能のある子供でも、それを発揮できなくなり、堰き止められた川の水のようにグツグツ腐って、ついには自分自身、あるいは他人を壊してしまうのです。

とはいえ、子供はいつだって親の手が差し伸べられるのを待っているんですよ。
「アンタには関係ない」「放っておいてくれ」と口では言いますけども。
「自分を救ってくれるのは親しかない」ってことは、子供自身が誰よりも一番知っているんです。
でも、それを表に出して、拒絶されたり、冷たくされたり、再び失望するのが怖いから、「助けて」よりも「構うな」のポーズを取るんです。
「てめぇなんか、カンケーねえんだよ、うるせぇんだよ」という啖呵は、「助けてよ、構ってよ、でも怖いよ」という叫びなんですよね。

だから、ヒースのお父さんみたいに、いくら自分の手に負えないからといって、「じゃあ、養子に出すか」と言われたら、そりゃ傷つきますよ。
ヒースのお父さんにしてみたら、「自分のようなダメ親父が育てるより、愛情の深い親友に育ててもらった方が、この子の為かもしれない」という気持ちなのでしょうけど、子供にとって、それは思いやりではなく、親業の放棄であり、絶縁状でしょう。
子供ってのは、親が厳格だろうが、冷淡だろうが、ダメ人間だろうが、それでもやっぱり心の底では自分に対する愛情や人間性を信じていて、表面では物凄く憎んでいたとしても、親を求める気持ちに変わりはないんです。

よく、「私は今でも自分の母親が大嫌いです」というママさんがおられますけど、そんな事を言ってみても、やっぱり「親」なんですよ。
心の底では求めているんです。
私はそう思います。

ですから、親子関係がこじれて、ものすごく辛い時、物理的に距離をおくのも一時は有効ですが、やはり一緒に居るより他に真の解決法はないのではないか――と。
むしろ、辛い時ほど一緒に居た方がいいのではないか――というのが、私の考えなのです。

子供の心がねじれた時、特別なことなど必要ないんです。

「たこ焼き、食べようか」
「隣のおばちゃん、明日から入院するんだって」
「バス賃がまた値上がりするなあ」

って。そんな話でいいんですよ。
その場で返事がなくても、とにかく話しかける。何でもいいから、声をかける。

「私はあなたに対する関心を失ってはいない」ということを、言葉かけという形で示せばいいと思うんです。

「今すぐどうにかしなければいけない」と焦って、後ろ向きの子供を捕まえて、

「いったい、将来のことをどうするつもりなんだ」とか、
「人間として、どういう生き方がしたいんだ」とか、
「自分のやっていることが分かっているのか、さあ言ってみろ」とせっついたところで、タコつぼのタコを棒で突くようなもので、ますます奥に閉じこもってしまうでしょう。

親子関係に限らず、恋愛や人間関係で失敗しやすい人って、問題解決を急ぐあまり、いきなり本丸に攻め込んでしまうんです。――そして玉砕してしまう。
時間をかけて、ゆっくり外堀を埋めて、一つ一つ橋を架けていく――という「待ち」の姿勢が取れないんですね。

私は、自身の思春期を振り返っても、「ただ一緒に居る」ということの必要性をひしひしと感じずにいません。

特別なことなど何もしなくていい、「親だから」と身構える必要もない。

ただ、親猫と子猫がじゃれ合うように、お互いの温もりや存在を感じ合えたら、それで十分なんじゃないかな――と、私は思います。

私も下の子が産まれて、年子育児が本格的に辛くなってきた時、上の子はなるべく外に連れ出してもらって、私と下の子から解放された方がいいのではないか、と考えたことがありました。
なぜなら、私たちと一緒にいると、上の子はどうしても心を乱されるし、下の子にチョッカイを出して、私にバリバリ怒鳴られたりして、楽しいことなど何一つないように思えたからです。
(授乳中に、肩に噛みついたり、背中を蹴ったり、首を羽交い締めにしたり、そりゃもうスゴかったです(;^_^)

しかし、上の子の様子をじっと見ていて、「この子は、下の子に心を乱されたり、私に怒鳴られたりしても、一緒に居たいんだなあ」と感じるようになり、「距離をおいた方がいい」という事は考えなくなりました。

育児でキリキリまいの母親に怒鳴られるより、「引き離される」ことの方が、子供にはもっと堪える時がある――。

それが私の印象です。

ですから、子供との関係がこじれたり、育児がストレスになって、「私みたいな親が育てるより、誰かに預けて、距離をおいた方がいい」と思っておられるお母さんがありましたら、もちろん、それも一時の気休めにはなるでしょうけど、『一緒に居ることが一番の解決法』という考え方もあることを、頭の隅にちょこっとクリップして頂けたらなあと思います。

私も、育児に疲れて相手する気にもなれない時は、息子を膝に抱いて、一緒にぼーっとディズニーのアニメなんか見ている事が多いですけど、それだけでも子供は落ち着くみたいですよ。

育児書の「ビデオ育児はダメ」「子供と遊ぶ時は、しっかり目を見て、言葉を交わして……」なんて、あまりにも真面目に考えすぎると、疲れるばかりで、育児が苦痛でしかなくなってしまいますからね。

『ただ一緒に居ることの幸せ』を、もっと大事に味わってもいいんじゃないかなぁ、と私は思います。

コラム子育て・家育て : あせらず、あわてず、争わず 第2号より 2007年02月06日

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