創作と芸術– tag –
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寺山修司寺山修司はなぜ女にモテるのか
寺山修司の魅力を女性の立場から分析する文芸コラム。誰にも答えられない人生の悩みに答えてくれる唯一の詩人にして家出人の味方。寺山修司の強さと優しさについて解説。 -
クラシック音楽・オペラ・バレエ大阪・梅田32番街 クラシックの殿堂「大月シンフォニア」永遠の響き
大阪・梅田32番街のクラシック専門店『大月シンフォニア』の閉店の思いをコラムに綴り、『音楽の友』に応募したら採用され、スタッフにも届いたエピソードを紹介。親切丁寧かつ豊富な知識で関西クラシック・ファンの心の支えだった。 -
漫画・アニメベルばら・コード サクレクール寺院を探せ 池田理代子の創作秘話より
ベルサイユのばらを創作するにあたって、池田理代子先生は「図書館や出版社の資料室に行って、日本で手に入れられる限りの本を資料にしました。実物はまったく見ずに写真を見て絵を描いていたわけです」。連載後、フランス革命時には存在しなかったサクレクール寺院が描かれていることを読者から指摘されます。その箇所はどこでしょう。 -
エッセイ&コラム正解を追い求めるプロセスこそが創作 #0072
一体どの様にすれば、調和というものが得られるのでしょうか。それは数値的に置き換えて判断できるものなのでしょうか。または「良い」とか「悪い」とかの主観的な感情に委ねられるものなのでしょうか。正解のない問いかけだからこそ考える価値がある。 -
映画エセ文化人が美と知性を滅ぼす 映画『コックと泥棒、その妻と愛人』
泥棒のアルバートは一流レストランのオーナーだが、文化などまったく理解しない反知性の俗物でもある。虐げられた妻ジョジーナは読書家のマイケルと恋に落ちるが、アルバートにばれて悲劇が起きる。ジョジーナと料理人が企てた壮絶な復讐と文化の死を解説。 -
映画愛なき評論はアーティストを殺す ~淀川長治氏の映画解説より~
「どんな作品でも、必ず一つは褒めるところがある。その良い所を見つけ出すのが評論家の仕事」 -
映画繊細だと絵は売れない 映画『ビッグ・アイ』
内気な妻マーガレットに代わり、口八丁手八丁の夫ウォルターは作者を語って『ビッグ・アイ』を売りまくるが、嘘は長続きしなかった。派手な宣伝や評判に惑わされずに『真実を見ろ』。絵の中の大きな瞳は見る人にそう語りかけている。実話の映画化。 -
エッセイ&コラムばかげたものに存在価値はないのか
世の中には「微笑ましい暴走」と「笑えない暴走」があって、このスレで話題にされている「羨ましい、ばかけんちく」は前者だと思います。「微笑ましい暴走」とは、喩えるなら、元気のいいオヤジさんが祭の舞台でマイケル・ジャクソンのダンスを披露するよ... -
エッセイ&コラム建築とは少数がわかれば良いというものでもない #0010
建築は少数がわかればそれで良いというものではない。創作には「自己表現」「万人に伝える」という二つの目的があり、最初から世界を目指すのと、身内に受ければそれでいい、では大きな違いがある。創作における自己愛は自身の芸を狭め、全体の硬直化にも繋がる。 -
エッセイ&コラム疲れ果てて ゴッホ展の思い出
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの作品に『 worn out 疲れ果てて』という作品がある。十八の時、ゴッホ展で初めて本物を目にしたのだが、見た瞬間、絵に突き飛ばされそうになった。そこには、見る者を圧倒するような、凄まじい情感が渦巻いていたからだ。そ... -
エッセイ&コラムPearl ~汗と涙の結晶~
愛でも、夢でも、閃きでも、何ものにも顧みられず、胸に抱き続けることは苦しいものだ。ダイヤの原石か、ただの石ころか分からぬものを、ひたすら自分の中で磨き続けることは。 -
エッセイ&コラム生活者の視点で考える建築 ユーザー第一か、デザインか #0006
『建築家という職業をやっている者の実感からすると、クロウトの間にだって批評なんてほとんどない。クロウトの間にだってお互いについて意見を言う共通言語があるわけではなくて、建築家それぞれが小さく自己完結してしまっている』ネット議論のデメリットと併せて。