創作と芸術– tag –
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エッセイ&コラム生活者の視点で考える建築 ユーザー第一か、デザインか #0006
『建築家という職業をやっている者の実感からすると、クロウトの間にだって批評なんてほとんどない。クロウトの間にだってお互いについて意見を言う共通言語があるわけではなくて、建築家それぞれが小さく自己完結してしまっている』ネット議論のデメリットと併せて。 -
エッセイ&コラムStay hungry, Stay foolish ースティーブ・ジョブズ伝説のスピーチよりー
hungryという言葉は「貪欲」、foolishは「良い意味での無知」と解釈した方が分かりやすい。Be(何ものかであること)よりも、Stay(そうであり続けること)の重要性を説いたスティーブ・ジョブズの伝説のスピーチより。 -
エッセイ&コラム1+1=2ではない ~人文軽視の末路
私は、1+1=2だとずっと思ってたし、またそれが当たり前 だと教えられてきた。 だから何事も「1+1=2」という定規でしか物事を測れなかった。 しかし1+1=2ではない。 「2」かもしれないが、「2」である必要はどこにもないし、「3」でも「... -
エッセイ&コラム情報の探し方・活かし方『情報の海から運命の一滴を拾い出す』
好きな物や関心のあることだけが有為な情報ではない。ふと目に入る広告や新聞の片隅の記事も、心を傾けてみれば、いろんな気付きがある。情報の海から『運命の一滴』を拾い出すのは奇跡のようなもの。探し求めれば、いつかは巡り会うことができる。 -
寺山修司美というものは、本来、何かを欠いたものです ~寺山修司『家出のすすめ』より
美というものは、本来、何かを欠いたものです。完全な合理主義からは、美はおろかドラマも生まれてきません。多くの場合、『美』は様々な形で定義され、理想として植え付けられる。だが、完璧なもの、好ましいものだけが美であろうか。 -
POPS・JAZZ・歌謡曲厳しくも、その厳しさの中で生きていく ~宮沢和史さんのプシェミシル・コンサートの思い出 (2005年)
2005年、ポーランドの小さな地方都市プシェミシルで、外国人観客を相手に、立派にコンサートを務められたTHE BOOMの宮沢和史さんのプロ魂を綴ったライブの感想です。プロとは何かを考えさせる素晴らしいステージでした。 -
ドストエフスキードストエフスキー伝記(祥伝社新書)より ~人は葛藤する限り、神と共に在る
難解・冗長で知られるドストエフスキーはどんな時代に生まれ、何に影響を受けて作家活動を開始したのか、ロシア史、文学史から読み解く伝記。賭博、借金、投獄、女、波瀾万丈の人生の中でもロシアの行くべき道を模索し、人類の処方箋を探し求めたドストエフスキーの深い知性と義侠心がひしひしと伝わってくる良書。 -
クラシック音楽・オペラ・バレエ『芸術』の役割 復興へ心踊らせて…オペラ座トップがバレエ指導
そう考えると、バレエもオペラもこの世界に必要欠くべからざるもの……というわけではないし、そもそも、こんな一度の公演を見るために、1万とか5万とか払ってる私たちの存在って、いったい何なのだろう、それでも『芸術』は必要ですか──? なんて、根源的な問いかけまで行き着いてしまうんですね。 -
エッセイ&コラム自分の作品を「拙い(つたない)」なんて言うな
相手の機嫌を損なわぬよう、自分をへりくだる「ケンソン」は自尊心を貶めるだけで誰をも幸せにしない。相手も凄いように、自分も凄い。せめてネットの中だけでもドヤ顔で作品を公開しようという話。いつかハッタリも本物になる。 -
エッセイ&コラムなぜ公共建築はディズニーランド化するのか #0103
一つ当たれば我も我もと続くのが世の常。新しいものを試みようとしても「これが流行だから」と反対されることもある。惰性が惰性を呼び、全てが定型化、固定化していくのが総ディズニーランド化の本質かもしれません。 -
映画ネットで話題になっても真のヒット作に成り得ない訳(映画・動画編)
作り手が、身内の評価や、機械的に現れる数値や、ネット上でやり取りされる一部の評判だけを見て、「ウケてる!」と思い込むのはあまりに単純。いずれ『映画』そのものが飽きられ、自分が主演の『ヴァーチャルビデオ』が主流になるかもしれない。 -
エッセイ&コラム作り手に愛がなければ、ギャラリーも見捨てる #0098
作り手が傲然と無理解なギャラリーを見下すなら、ギャラリーもまたその作者と作品を見捨てる。見映えが「ばか」でも愛される作品と忘れ去られる作品の違いはその場に存在する必然性。突き詰めれば利用者(ギャラリー)への配慮と愛着である。