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ギリシャ神話&キリスト教西洋美術の入門書 カワイイから本格派まで、イラスト付きで読み解く
美術関係の本を集めてみました。美術というと敷居が高いように感じられるかもしれませんが、美術、特に西洋絵画が分かれば海外旅行の面白さも倍増します。今までルーブルやオルセーのような有名美術館に足を運んでも退屈なだけだった方も、「どこか外国に... -
ドストエフスキー『どうしてこんな人間が生きているんだ!』 なぜゾシマ長老は大地に頭を垂れたのか(11)
本作屈指の名場面。ドミートリィはなぜ「こんな人間が生きているんだ」と嘆き、ゾシマ長老は「お赦しくだされ」と彼に頭を下げたのか。その後の悲劇を示唆する内容で、非常にドラマティックな一幕の解説。 -
ドストエフスキー神は罪を犯した者を、罪のままに愛してくださる ~ゾシマ長老の言葉(8)
高徳の僧ゾシマの元に救いを求めて信者の女性が次々の訪れる。子を亡くした母親、年寄りの連れ合いに虐げられた女性、彼女らの訴えに耳を傾けながら、ゾシマは慰めの言葉をかける。ドストエフスキーの『罪と罰』の思想がいっそう高められたパート。 -
映画インシャアッラー 全てを神の御心に委ねて 映画『デビルズ・ダブル』
サダム・フセインの息子で、ブラック・プリンスと言われたウダイの影武者を務めたラティフ。ウダイの蛮行に苦しむラティフに、父親は「我々が無力でも、いつか必ず神の裁きが下る。お前が自由を得ることで、私が死ぬことになっても、それは神のご意志だ。インシャアッラー(すべては神の御心のままに)」と励ます。 -
映画悪魔は嘘に巧妙に真実を織り交ぜる / 映画『エクソシスト』
悪魔の言うことに耳を傾けてはならない。悪魔は嘘に巧妙に真実を織り交ぜる。言葉は心の弱った人間に甘く囁きかけ、憎悪や疑念を植え付ける。現代の悪魔は言葉(情報)の中に潜んでいるというコラムを添えて。 -
ドストエフスキー大審問官=悪魔の現実論を論破せよ《カラマーゾフ随想》 原卓也訳(10)
カラマーゾフの兄弟の命題ともいうべき『大審問官』。原卓也の訳本と江川卓の『謎とき・カラマーゾフの兄弟』のテキストを交えながら、人間が生きることと神の教えの矛盾、「イエス・キリスト VS 悪魔の三つの誘惑」などを解説。 -
ドストエフスキードストエフスキーの名作『罪と罰』米川正夫(訳)の抜粋 / 『謎とき 罪と罰』江川卓
超個人主義に徹する貧しい大学生ロジオン・ラスコーリニコフは、『人間は凡人と非凡人とに分かれ、非凡人は既成道徳をも踏み越える権利を有する』 『一つの些細な犯罪は、数千の善事で償われる』という論理のもと、強欲な高利貸の老婆を殺害し、奪った金を有効に使おうとする。不朽の名作を米川正夫訳で紹介。 -
ギリシャ神話&キリスト教クリスマスとイエス・キリスト ~真理は、あなた方を自由にする
この方は、人類のあらゆる罪を一身に背負うために、この世に現れたのだ。ご覧、あの十字架に、世界中の苦痛がのしかかっているようではないか。これは終わりではない。始まりだ。いずれ、世界中の人々がこの方に付き従って行くだろう -
ギリシャ神話&キリスト教ヴィア・ドドローサ 悲しみの道
聖都イスラエルには、今も『ヴィア・ドドローサ』と呼ばれる路が残されいます。ラテン語で「悲しみの道」を意味するこの路は、イエスが、ローマ総督の裁判により十字架を背負い、ゴルゴダの丘(刑場)まで歩いた道として知られ、今も年一回の聖金曜日には... -
ギリシャ神話&キリスト教ゲッセマネの園 イエス・キリストの苦悩
十二人の弟子たちと最後の晩餐を終えたイエスは、弟子のペトロ・ヤコブ・ヨハネを連れて、ゲッセマネの園に向います。イエスは天の父に祈りました。「父よ、できるなら、この杯を私から取りのけて下さい。しかし、私の望みからではなく、あなたの御心のままに」。自らの運命を知るイエスの決意と葛藤が感じられる名場面です。 -
ギリシャ神話&キリスト教人間の想像力は悪に傾きやすい
ずっと以前、カウンセラー講座に通っていた時、心理学の先生から面白い話を聞いたことがある。悪役専門の俳優さんが、新境地を開く為、善良な役を引き受けるようになったら、舞台は好評にもかかわらず、私生活ではノイローゼになってしまった、という話だ... -
ドストエフスキーリアリストは自分が信じたいものを信じる ~アリョーシャの魅力と未来への伏線(5)
『リアリストにあっては、奇跡から信仰が生まれるのではなく、信仰から奇跡が生まれるのだ』。自身の意思によって神の道に進むことを決めたアリョーシャは、高徳の長老ゾシマに多大な影響を受ける。純粋な信仰心は後の『大審問官』への伏線となり、無神論を乗り越える原動力となる。