建築・土木と社会– tag –
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エッセイ&コラム「使い勝手」も含めてのもの全体が「作品」のはず #0009
建築は単純な色と形の格好よさだけの「作品」「造形物」ではないはず。その中の「社会」とか「生活」をデザインするっていうのがホントでは? 階段にしろ、バスルームの間取りにしろ、人への想像力や社会的感性がなければ、真に有用な形は描き出せません。 -
エッセイ&コラム闘う建築家と公共の芸術
建築家が、物理と、予算と、行政と、施主と、日夜闘っているのは紛れもない事実で、それでも遂にはやってのける意思の強さは尊敬に値します。彼等が良心をもって闘う限り、家も倒れず、町も発展するのです。 -
文学・思想・神話都市こそ人間の精神の基盤 安藤忠雄の『連戦連敗』より
日本の都市開発の出発点は、拠って立つ理念もなく、目標も曖昧なまま、ただ輸入した形式をそのままなぞることから始めてしまったのです。そこに軋みやズレが生じるのは当然です。役所は今もって、この都市計画法の下でしか都市を考えることができない。一方で、市民側にも都市に対する公的な精神が欠落してしまいますから、個人のエゴがむき出しになり、日本の都市はいまだ誇れる顔をもてないままです。 -
エッセイ&コラムデザインが優れても、市民には使い勝手が悪い建物もある #0109
デザインとしてどれほど美しく優れても、実際に使う一般市民が不便に感じるようなら意義も半減する。建築家と市民の価値観の違いで済まされないこともある。問題はデザイン云々ではなく、実際にそれを利用する人の市民の声が反映されないこと。 -
エッセイ&コラム守るべき品位と世界観 文化財のキティちゃん化は上質な観光客を遠ざけるかもしれない #0107
何でもキャラクター化してウケを狙うのもいいけど、文化理解や尊敬の念をなくして、遊び心が過ぎると、本当に価値を理解する客層が離れてしまう。守るべき品位や世界観を無視して、キティちゃん化すれば知識の劣化と虚しさをもたらすのではないか。 -
エッセイ&コラムなぜ公共建築はディズニーランド化するのか #0103
一つ当たれば我も我もと続くのが世の常。新しいものを試みようとしても「これが流行だから」と反対されることもある。惰性が惰性を呼び、全てが定型化、固定化していくのが総ディズニーランド化の本質かもしれません。 -
エッセイ&コラム建物が人を呼び、人が町並みを変える #0099
「建物がひとつ建つ」というのは大変なこと。建物は人を呼び、その人を対象とした新たなサービスや施設が生まれ、コミュニティの様相さえ変えてしまう。作り手の意識はもちろんのこと、それを支持する大衆の側にも問題はある。 -
エッセイ&コラム他人の感想をコントロールすることはできない 自由とファシズム #0097
「ヘンなガンダム」に見えるものを「そういうふうに見るな!」といわれても、それはムリ。「予想外のリアクション」が心外なのだとしたら、受け手を信用し過ぎなのでは。誰もがみんな、作家にとっての「好意的な解釈」をしてくれるはずがありません。 -
エッセイ&コラム「かわいそう」と「傷ついた」が問題の解決を困難にする #0095
「カタいこと言わずに、笑って許そうよ」だけでも、街もタテモノも良くならないし、このページをやる意味もないのです。日本社会では批評=人格否定と受け止める傾向が強い。間違いに対して「一所懸命だから」「可哀想だから」という理由で耳を塞ぎ、それを指摘する人間の口も封じれば家屋ごと倒壊する。 -
エッセイ&コラム命と時間こそ若者の最大の財産 ~老人の執着心に打ち克つには #0092
年寄りにとっては、自分が掴んだポジションこそが人生であり、家族・友人に代わる唯一の拠り所。この現実社会において、『老い』とは『放逐』『人生否定』と同等です。建築も政治と同じ封建制。 -
文学・思想・神話土木は国家の礎 宮崎学の『談合文化』日本を支えてきたもの
昭和においては談合は悪とされてきたが、反面、職人を育て、技術の質を確保するシステムでもあった。宮崎勤氏が建築・土木業界の崩壊のプロセスを分かりやすく解説。日本の産業全体の問題点を指摘する良書。 -
エッセイ&コラム専門家と一般人が熱い意見を交わした【ばかけんちく談話室】について
1990年代から2000年前半にかけて、町中のヘンな建築を素人目線で紹介するユニークな企画で注目を集めた『ばかけんちく探偵団』の談話室ログ。専門家と一般人が熱い意見を交わした90年代インターネットの良心を具現化するような記録です。自前の建築コラムを交えて。
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