ドストエフスキーの世界– tag –
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ドストエフスキー現代は自由主義のご時世、汽船と鉄道の時代ですぜ! 時代の変化の先の『救済』とは (13)
社会の変化は人々の価値観やライフスタイルを否応なしに変え、それに付いていけない人は落ちこぼれて貧苦に喘ぐ。指針も見えず、救いもなく、混沌とした時代の中で神の教えにどれほどの意味があるのか、それよりもパンを寄越せのフョードル論。 -
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』江川卓訳をお探しの方へ(原卓也訳との比較あり)
絶版になって久しい江川卓訳『世界文学全集(集英社)』のカラマーゾフの兄弟を抜粋と写真で紹介。現代的で読みやすい訳文です。原卓也訳との比較も掲載。2021年はドストエフスキーの生誕200年のアニバーサリーイヤーにつき文庫化の可能性もあり。興味のある方は復刊リクエストにご協力下さい。 -
ドストエフスキー大審問官=悪魔の現実論を論破せよ《カラマーゾフ随想》 原卓也訳(10)
カラマーゾフの兄弟の命題ともいうべき『大審問官』。原卓也の訳本と江川卓の『謎とき・カラマーゾフの兄弟』のテキストを交えながら、人間が生きることと神の教えの矛盾、「イエス・キリスト VS 悪魔の三つの誘惑」などを解説。 -
ドストエフスキードストエフスキーの名作『罪と罰』米川正夫(訳)の抜粋 / 『謎とき 罪と罰』江川卓
超個人主義に徹する貧しい大学生ロジオン・ラスコーリニコフは、『人間は凡人と非凡人とに分かれ、非凡人は既成道徳をも踏み越える権利を有する』 『一つの些細な犯罪は、数千の善事で償われる』という論理のもと、強欲な高利貸の老婆を殺害し、奪った金を有効に使おうとする。不朽の名作を米川正夫訳で紹介。 -
ドストエフスキー愛の欠乏と金銭への執着 ~父に捨てられた長男ドミートリィの屈折(2)
父親に厄介払いされた長男ドミートリィは幼少時からたらい回しにされ、金で周囲の歓心を買う、無節操な人間に育っていく。自分の父親が金持ちの小地主と知った途端、実際以上の資産を受け継げるものと勘違いし、金勘定に長けた父親が自分を騙そうとしていると逆上したところから悲劇が始まる。 -
ドストエフスキー淫蕩父 フョードル・カラマーゾフ 指針を欠いたロシア的でたらめさ (1)
不幸の元凶である淫蕩父は金勘定に長けた地方の小地主。愛も責任も持ちあわせない結婚をして、幼い長男ドミートリィを放り出す。右に左に迷走するロシア社会のでたらめさを体現するような人物で、非情というよりは、心の指針を欠いた俗物であるのがありありと解る。 -
ドストエフスキードストエフスキーという作家の全てが凝縮した『カラマーゾフの兄弟』プロローグ
ドストエフスキー最後の大作『カラマーゾフの兄弟』は、カラマーゾフ一家、とりわけ、主人公のアレクセイ・カラマーゾフ(アリョーシャ)に詳しい”書き手”の回想録として始まる。「これが蛇足だという意見には、私もまったく同感だが、なにせもう書いてしまったものであるし、このまま残しておくことにしよう」の一文に長文体質ドストエフスキーの心情が垣間見える。 -
ドストエフスキー現代に生きる『カラマーゾフな人々』~血と金と救済~【はじめに】
現代においてカラマーゾフの兄弟を読み直す意義について、江川訳の立場からコメント。バーチャル僧侶が死者の為に読経し、教会のミサもオンラインでシェアされる時代、アリョーシャの言葉は誰の心に響くのか。 -
ドストエフスキー一つの生命を代償に、数千の生命を堕落と腐敗から救う ~ドストエフスキーから永遠の問いかけ
「ひとつのちっぽけな犯罪は、数千の善行によって、つぐなえないものだろうか?ひとつの生命を代償に、数千の生命を腐敗と堕落から救うんだ」 心の奥底の願望を映し出すような学生と将校の会話によって、ラスコーリニコフは斧を手に取る。永遠の問いに答えはあるのか。 -
ドストエフスキードストエフスキー伝記(祥伝社新書)より ~人は葛藤する限り、神と共に在る
難解・冗長で知られるドストエフスキーはどんな時代に生まれ、何に影響を受けて作家活動を開始したのか、ロシア史、文学史から読み解く伝記。賭博、借金、投獄、女、波瀾万丈の人生の中でもロシアの行くべき道を模索し、人類の処方箋を探し求めたドストエフスキーの深い知性と義侠心がひしひしと伝わってくる良書。 -
ドストエフスキー人間は近づきすぎると愛せない
「ぼくは身近な人間をどうして愛することができるのか、どうやってもわからないんだ。ぼくに言わせると、身近だからこそ愛することができないんで、愛せるのは遠くにいる者にかぎるんだよ」高尚な理想を唱えながらも身近な人間を愛せないイワンの心理とは。 -
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』執筆の背景 ~ドストエフスキー評伝より
ドストエフスキーは病み、疲労し、発想力を失っていた。しかしそれだけではなく、今やドストエフスキーにとってこの小説は「小説の中でも最も重要な小説の一つ」だった。この作品は「入念に仕上げなければならない」。さもなければ、「作家としての自分自身を未来永劫にわたって傷つけることになる」とドストエフスキーは書いている。