寺山修司の戯曲– tag –
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寺山修司寺山修司の戯曲『血は立ったまま眠っている』の名言集
寺山修司の初期の戯曲『血は立ったまま眠っている』の名言集。1960年代の安保闘争を背景に、二人の青年と周囲の人間の葛藤や社会不信などを描く秀作。 -
寺山修司戯曲『星の王子さま』(寺山修司)現実社会で星はいかに輝くか
崇高な星の輝きは、現実に藻掻き苦しむ大人を決して見捨てたわけではない。それらは確かに私達の真上に存在し、強い輝きを放っている。それに気付けば、酔っ払いにも、落ちこぼれにも、星を掴むチャンスはあると分かるはずだ。童話の中で見つめる星よりも、勝利の輝きに満ちているかもしれない -
寺山修司手紙は距離を感じさせるだけ 寺山修司の『チャイナ・ドール』より
便りがない方が、身近に感じられていいの。手紙は距離を感じさせるだけだわ。何のレスポンスもない方が相手を身近に感じるのは、そこに無視も裏切りもないからだ。最後の便りの印象の中で、相手はいつまでも好ましい人物あり続ける。 -
寺山修司母の呪いと子の彷徨 愛憎の輪廻 ~寺山修司の『身毒丸』
寺山修司の作品を読んでいると、母親というのは、それほど醜悪で、身勝手なものかと哀しくなってくる。そこには、夜なべをして手袋を編んでくれるような、優しい母の姿はない。放校されたエジソンに、根気よく理科や算数を教えるグレートマザーの姿もなけ... -
寺山修司人生以上でも、人生以下でもない 寺山修司の『邪宗門』
この箇所で一番好きなのは、『人生以上でも、人生以下でもない』という表現。存在の虚しさ、他者との関わりの空疎さを、一言で表せば、人生以上でも、人生以下でもない、となるだろう。悲しい時に笑ったり、女房に相手にされないので人形相手に暮らしたり、現実にそういう暮らしをしている人は少なくない。 -
寺山修司『おまえの時代』など永遠に来やしない 『ああ、荒野』寺山修司
『おまえの時代』など永遠に来なくても、人は何かしら作り出すことができる。商品であれ、家族であれ。運にも幸福にも見放された人にも、創意は残されている――というのが、人間の真の偉大さではないでしょうか。 -
寺山修司母と息子の歪な愛 寺山修司の戯曲『毛皮のマリー』
寺山修司と母・はつの親子関係を彷彿とさせる戯曲の抜粋と考察。「お互いに母子そっくり、幻滅しあい、にくみあいながら生活しているんですよ」といった親子の葛藤に併せて、「うそよ、臆病なのよ。世界を見るのがこわいのよ。いつもドアをそっとあけてそうのすきまからしか人生を覗き見できない自分が、みじめじゃない?」という美少女の台詞に代表される青年の自立も描いている。
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