谷川俊太郎の詩 ~魂のいちばんおいしいところ~

目次

詩集『魂のいちばんおいしいところ』より

自己紹介

時に私は

とほうもない馬鹿になり
とりかえしのつかぬ
あやまちをおかし
平然として
キァンティなど飲んでいる

そんな私に誰も気づかない

時に私は

一介の天使となり
すべてを慈悲の眼で見つめ
ゆり椅子におさまって
昼寝している
そんな私に私もきづかない

時に私は

何ものでもなくなり
じわじわと怪物のように時空に滲み出し
水洗便所で流されてしまう

そんな私をフェラリも轢くことができない

内在する「わたし」と、他人の目に映る「わたし」。
自分でも気付かぬ「わたし」と、他人だけが知っている「わたし」。
わたしとは何かと問われたら、きっと多くの人は、自分が知っている「わたし」と答える。
だけども、それが「本当のわたし」かと問われたら、たちまち根拠が揺らいで、何ものでも無くなってしまうのは何故だろう。
もしかしたら、「わたし」なんてのは、何処にも存在しないかもしれない。
自分だけが「これがわたし」と思っているだけで、本当は何でもないかもしれない。
「わたし」から、わたしを開放すべきは、他ならぬ、自分自身かもしれないね。
フォーテスキュー

William Fortescue

わたしの捧げかた

絵は窓なのよ わたしにとって
わたしは世界を眺めるの

映画は夢なの わたしにとって
わたしはすぐに忘れてしまう

本はカタログ わたしにとって
わたしはいつか世界を買うわ (多分月賦で)

でも歌は歌なの
いつもいつも わたしは小鳥に負けないわ
そしてあなたはあなたなの
わたしにわたしの捧げかたを 教えて下さい

幸福なんてなんでもないのよ
不幸なんてなんでもないのよ

わたしがわたしになれるなら

つらいこと 悲しいこと
いつでも たくさんあり過ぎて
存在すること自体に耐えられない時もあるけれど
ふと窓を開け放してみれば
わたしが世界をそんな風に見ているだけで
本当は何でもない、という事に気付くかもしれない

幸福も 不幸も わたしの一部
痛みも 悦びも この心の一部に違いないから
どんな時も わたしが感じることを大切にしたい
人生はこの目に映る世界ではなく 
わたしの内側にあるのだから

魂のいちばんおいしいところ

二月のうた

鳥は空を飛んでゆく
魚は水に泳いでいる

私は地上でいったい
何をしているだろう

そう 私はたとえばあなたに
花を贈ることができる
鉢植えの黄水仙を
うす曇りのこの午後に

あなたをみつめて──

それは歴史とは
何のかかわりもない事だけれど

それはまったく
それだけの事だけれど

人ひとりの存在なんて 草原の花一輪みたいにちっぽけなものかもしれない
必死で叫んでも 恋をしても
長い歴史の中では 閃光ほどの意味もなく
生も死も一瞬で掻き消えてしまう

けれども その何でもない事に
何とたくさんの想いが詰まっていることだろう
歴史の中では一瞬でも
たとえ 他人にとっては何でもなくても

ここに生きて 恋して 泣き叫ぶ自分がいる

世界にとって 意味があろうと なかろうと
この想いを大切にしたい

魂のいちばんおいしいところ

ジョージ・フレデリック・ワッツ 【エロスとタナトス】

九月のうた

あなたに伝えることができるのなら
それは悲しみではありはしない
鶏頭が風にゆれるのを
黙ってみている

あなたの横で泣けるのなら
それは悲しみではありはしない
あの波音はくり返す波音は
私の心の老いてゆく音

悲しみはいつも私にとって
見知らぬ感情なのだ

あなたのせいではない

私のせいでもない

本当に大切なのは 愛でもなく 幸福でもなく
あなたという人が在ること
ただ側に居る それが何よりも大事なのだ
いつか愛が返らなくなっても
また私から返せなくなっても
それもまた時の定め
どうして恨んだりするだろう
この平凡な人生
ただ あなたという人に出会った
それが一番大切なのに
傷つこうと 悲しもうと
そんなことは問題じゃない
それよりも 何よりも
今 わたしがここに居て
あなたという人が在る
それ自体に意味があるのだ

死せる乙女 

魂のいちばんおいしいところ

神様が大地と水と太陽をくれた
大地と水と太陽が りんごの木をくれた

りんごの木が真っ赤な りんごの実をくれた
そのりんごをあなたが私にくれた

やわらかいふたつの てのひらに包んで
まるで世界の初まりのような 朝の光といっしょに

何ひとつ言葉はなくとも
あなたは私に今日をくれた
失われることのない時をくれた
りんごを実らせた人々のほほえみと 歌をくれた

もしかすると悲しみも
私たちの上にひろがる 青空にひそむ
あのあてどもないものに逆らって

そうしてあなたは自分でも気づかずに
あなたの魂の いちばんおいしいところを
私にくれた

【サブラ姫】 ガブリエル・ロセッティ

【サブラ姫】 ガブリエル・ロセッティ

迷子の満足

右へ曲がれば家へ帰れる十字路を
幼い私はどうして左へ曲がったのだろう

生垣のつづく似たような小道が
異国のどこかのように新鮮だった

今ならまだ迷わずに戻れると
自分にむかって心の中で くり返しながらも
憑かれたように先を急いだのは 何故だろう

どんな目的地ももたずに
体の半分は心細さに泣きながら
もう半分は訳の分からぬ喜びに おどっていた

道から道へただカンだけで 何度も折れて
その夜初めて私は 自分の手で世界に触れた
夕闇のますます濃くなってくる
見知らぬ町かどにたたずんで
ひとりぼっちの私の感じた満足は
あれはいったい何だったろう

烈しい言葉で叱る母親を
幼い私は寛大に許していた
私の初めての冒険の意味は
ただ私自身にしか分からないと知っていたから

最初の一歩は、いつだって、孤独で淋しいもの
でも、その歩みの先に、新しいわたしと更なる道筋がある。
わたしは未知なるものに会いに行くのではなく
本当の自分に出会うために見知らぬ道を行くのだ。

誰にでも運命の第一歩があり
自分でも気付かぬ力を秘めている

冒険が教えてくれるのは
世界の広さではなく
自分という人間の可能性なのだ

W. Godward

W. Godward 【逢瀬】

明日

ひとつの小さな約束があるといい

明日に向かって ノートの片隅に書きとめた時と所
そこで出会う古い友達の新しい表情

ひとつの小さな予言があるといい

明日を信じて
テレヴィの画面に現れる雲の渦巻き 〈曇のち晴〉
天気予報のつつましい口調

ひとつの小さな願いがあるといい

明日を想って 夜の間に支度する心のときめき
もう耳に聞く風のささやき川のせせらぎ

ひとつの小さな夢があるといい
明日のために
くらやみから湧いてくる未知の力が
私たちをまばゆい朝へと開いてくれる

だが明日は明日のままでは
いつまでもひとつの幻
明日は今日になってこそ 生きることができる

ひとつのたしかな今日があるといい
明日に向かって
歩きなれた細道が地平へと続き
この今日のうちにすでに明日はひそんでいる

魂の一番おいしいところ

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この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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