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少女 読書

『詩を作るより、田を作れ』 文芸の価値と詩を役立てる心

少女 読書

詩を作るより、田を作れ

「詩を作るより、田を作れ」という思想は、根本的には政治主義に根ざしたものである。それは「役に立つ」ということを第一義に考えた処世訓であって「詩なんかなくても生きることはできるが、田がなければ生きることはできない。だから、どうせやるなら自他ともに役立つところの、田を作る方に打ちこむべきだ」といったほどの意味である。勿論、ここでいわれる「田を作る」ということは比喩であって、「目に見えた効果、社会的に有効な仕事」といったことを指しているのであろう。(21P)

実際、他人に「役に立つ詩」は存在しないかも知れない。
詩は、書いた詩人が自分に役立てるために書くのであって、書くという「体験」を通して新しい世界に踏み込んでゆくために存在しているものなのだ。
だが、「役に立つ詩」はなくても「詩を役立てる心」はある。それはあくまでも受け取り手の側の問題であって、詩の機能をうらからたぐりよせてゆくための社会性の法則のようなものである。

人生処方詩集 寺山修司

今、文芸の礎である出版業界も低迷に喘いでいるようです。

現代のベストセラーはともかく、古典ともなると、その需要はさらに激減。

よほど熱心な読者でない限り、見向きもしないのが現状でしょう。

復刊ドットコムでも、復刊されるのは大半がマンガで、古典の名訳などは打ち捨てられています。

先人が血を流すようにして書いた名著も、いずれ市場から姿を消して、名前すら忘れられていくのではないかと本気で危惧します。

なぜ、詩や小説が後回しにされるかといえば、直截的な役に立たないからでしょう。

読んだところで、ざくざくお金が貯まるわけでもなければ、素敵な彼氏ができるわけでもない。

読めば読むほどポイントが貯まるわけでもなければ、お得なクーポンが付いてるわけでもない。

作家の大半は何十年、何百年も前に死んでいるので、ファンレターも書けません。

目に見える効果や、見返りを期待する人にとって、詩だの、小説だのは、白昼夢みたいなものです。

作品に込められたメッセージを読み取る力がなければ、退屈な幻想でしかないでしょう。

まして、現代は、現実社会の出来事の方が、はるかにフィクションを超えているし(通り魔とか、テロとか)、ネットの炎上の方がはるかに面白い。

手軽さや即効性でいえば、SNSやネット記事の圧倒的な勝利で、詩や小説など、退屈の極みでしかないでしょう。全編、読み通すのに、何時間、時に、何週間もの体力と集中力を必要とします。毎日忙しく、心身ともに疲れ切った人にとっては、片手でスクロールできて、時事問題からエロまで、バラエティに富んだ情報の方がよほど心の慰めになるかもしれません。

では、現代における文芸の役割とは何なのか。

これはもう、寺山修司の時代から――いや、それ以前から、存在意義を問われるものだったと思います。

「いかに生きるか」とか「愛とは何か」とか、文学にしても、哲学にしても、あくせく働く必要のない上級市民の知的遊戯で、多くの人は毎日を生き抜くのに必死。生き甲斐だの、存在意義だの、なんて話題は、暮らしに困らない人のファンタジーでしかありません。

それより田畑をどうするか、明日の食事をどうするか、現実問題の方がはるかに重要です。

庶民にしてみたら、「自我とは何か」なんて問いかけより、「あなたの田畑の収穫を10倍アップする方法」の方が、はるかに有り難いのですよ。

これはもう、低級、上級にかかわらず、逼迫した庶民の偽らざる気持ちです。

にもかかわらず、古典文学が今日まで生き延びたのは、田畑の作物だけでは満たされない「何か」があるからでしょう。

イエス・キリストも「人間はパンのみに生きるにあらず」と言っている。

この定義は、カラマーゾフの兄弟の『大審問官』でも重要な争点になっています。

では、なぜ、「パンか、信義か」という話になるのか。

それは、人間が心で生きる動物だからでしょう。

肉体が生きても、心が死ねば、それは即ち、人間としての死に他なりません。

キルケゴールが「ゆっくりと死に至る病」という言葉で表したように、現代も、「身体は生きているけれど、心はほとんど死んでいる人」は多いです。そして、心が死ねば、肉体も死ぬ。その究極が自死です。

そして、肉体的な飢えは1個のパンで救われることもありますが、「空しい」「淋しい」といった心の飢えは何をもっても満たされることはありません。

たとえ、田畑の収穫を10倍にアップしても、誰にも必要とされない苦しさは生き地獄でしかないでしょう。

そうした時に、「あなたの田畑の収穫を10倍にアップする方法」以外の養分が必要になってきます。

それが文芸です。

一篇の詩。

一篇の小説。

一幕の舞台。

一小節の歌。

街角に流れるポール・モーリア・グランドオーケストラも含めて、パンでは満たせない何かを供給するのが文芸の役目です。

もし、喫茶店やレストランからBGMが消えたら、食事をしても味気ないでしょう?

額絵も、花瓶も、お洒落なカーテンもない、刑務所みたいな部屋で、一年中、楽しく暮らせますか?

身の回りにあふれる詩も、音楽も、イラストも、空気のように存在感がなく、心が元気な時には何の有り難みも感じませんが、病気や、孤独や、失業や、辛い出来事の中で、心と身体が植え始めた時、書店で見かけた美しい詩集に癒やされることもあると思います。

視覚に訴える映画や演劇ならともかく、詩や小説は、読み取る力がなければ、非常に退屈なものです。

自己啓発本みたいに「こうすれば幸せになれますよ」なんてことは書いてないし、状況を説明する図解やイラストがあるわけでもない。

今すぐ回答が欲しい人には、時間の無駄でしかないでしょう。

しかし、ひと度、その言葉が心の琴線に触れたなら、人生を変えるほどの影響力を持っています。

心が飢えた時、底の底まで満たしてくれるのは誰かの言葉であり、言葉とは突き詰めれば、人間そのものに他ならないのです。

確かに、詩や小説が、パンの代わりになることはありません。

偉大な小説を100本読んでも、貧乏な人は、貧乏なままでしょう。

しかし、寺山修司はこう言っています。

「役に立つ詩」はなくても「詩を役立てる心」はある。それはあくまでも受け取り手の側の問題であって、詩の機能をうらからたぐりよせてゆくための社会性の法則のようなものである

「役に立つ詩」を、「あなたの田畑の収穫を10倍アップする方法」と定義するなら、「詩を役立てる心」は心に直接栄養を供給します。

そして、人が心で生きていく限り、「詩を役立てる心」は、大きな田畑にも匹敵するパワーを持ちます。

何故なら、田畑はいつか枯れることもあるけれど、「詩を役立てる心」は無の平原にも人生の価値を見出すからです。

 人生処方詩集 (新書)
 著者  寺山 修司
 定価  ¥ 271
 中古 11点 & 新品  ¥ 271 から
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