海 Notes

かなしくなったときは 海を見にゆく

海 Notes

かなしくなったときは

かなしくなったときは 海を見にゆく
古本屋のかえりも 海を見にゆく

あなたが病気なら 海を見にゆく
こころ貧しい朝も 海を見にゆく

ああ 海よ
大きな肩とひろい胸よ

どんなつらい朝も どんなむごい夜も
いつかは終わる

人生はいつか終わるが
海だけは終わらないのだ

かなしくなったときは 海を見にゆく

一人ぼっちの夜も 海を見にゆく

寺山修司少女詩集 (角川文庫)

どうやっても不器用な人間がいる。

ああしなさい、こうしなさい、頭では分かっていても、どうしても、そうできない人たちだ。

そういう人にとって、心の拠り所は何だろう。

どこかに救いはあるのだろうか。

そんな時、私たちの足は自然に海に向く。

果てしない広がり。

規則的な波の音。

昔そこに住んでいた記憶が

安らかだった時代を思い出させてくれるからだろう。

何の悩みもなく、痛みもなく、

まだ魂しか持たなかった頃

海の揺りかごに包まれた

優しい時間を。

そして、いつかはそこに帰って行ける。

一つの海に繋がれたように。

私たちは、あの果てしない水の向こうで生まれ、

ほんの一時

この世を体験するに過ぎないのだ。

どんな詩人が
自分の書いた海で
泳ぐことができるというのだろう

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