【ジャガイモを食べる人々】ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ

『ジャガイモを食べる人々』ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの時代から

【ジャガイモを食べる人々】ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ

先週、ガラスで指を切る前に買ったジャガイモ2キログラム。

一週間、水仕事が出来ない間にすっかり芽吹いて、ジャガイ・ヨシノ状態になってしまった。

「おめぇ、こんな所で満開して、どうするんじゃい」

と一人でツッコミを入れながら、しょうーがないので皮剥き。

とにかく、取れるだけ芽を取って、マッシュ・ポテトにするしかない。

あの芽の部分って、毒素があるそうだから。

「一家四人、芽吹いたジャガイモを食べて、死亡」なんて三面記事が載ったあかつきには、親族中、末代まで笑いものだゾ。

*

ところで、悲劇の天才画家、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの初期の傑作に、「ジャガイモを食べる人々」という作品がある。
後期の印象派的な作品からは想像もつかないほど写実的で、ドラマティックな一枚だ。

【ジャガイモを食べる人々】ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ

昔から、ジャガイモは貧しい人々が頼りとする食べ物だった。

生命力が強く、厳しい環境でも──野菜カゴに置きっぱなしにしていても──青々と芽吹いて、実を結ぶジャガイモは、その日その日を食いつなぐのに精一杯の人々の生きる糧として重宝されてきた。

そうした人々が寄り合い、ジャガイモを食べる風景を描いたこの作品は、ゴッホの人間を見つめる真摯な眼差しと、写実的な技量を物語る傑作として今も高く評価されている。

そして、この風景は、時を超え、形を超え、今もヨーロッパの食卓に生きている。

主食といえば、茹でたジャガイモ。

ポーランド人の中には、「白いご飯+肉じゃが」という組み合わせを嫌う人もいる。

彼らにしてみれば、「主食が二つ」だからだ。

うちのオットも、「ご飯」は主食だとは思っていない。

いわば日本人における菓子パンのようなもので、主食にご飯を出すと、後で必ずといっていいほど「フレブ(ナチュラルな長いパン)」を食べなおす。

ご飯だけだと、主食を摂った気がしないらしい。

私に言わせれば、ジャガイモは「おかず」で、ポーランドの一般的な「肉+サラダ+マッシュポテト」という夕食のプレートは、「主食がねえ~よ」ってことになるんだけどね^_^;

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ともあれ、「主食」だの「おかず」だのと、こだわることができるだけ恵まれているとも言える。

昔は、もっともっと貧しくて、ゴッホの絵のように、茹でたジャガイモに塩をふりかけただけのようなものを食べていた時代もあったのだから。

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芽の出たジャガイモなんか捨てちまえ~~~ なんて、全く思わない、と言えばウソになる。

もう一週間たって、ヒガヒガしかけてるんだし。新しいのを買いに走りたいよ。1キロ30円ぐらいだモン。

でも、2キロのジャガイモをがさっと捨てることは、やはり出来ない。

ゴッホの絵が「そんなこと、しないでね」と言ってるから。

だから、ありがたくいただきます。きれいに芽を取ってね。

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