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僕が犬やった時 ~正論を説いて聞かせるばかりが正義ではない

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正論を説いて聞かせるばかりが正義ではない

『僕が犬やった時 君は猫やった』

誰でも無条件に味方して欲しい時がある
主義信条が違っても 
明らかにその人が間違いでも
stand by you の気持ちが
相手を素直にし
心を奮い立たせることがあります

正論を説いて聞かせるばかりが正義ではない

僕が犬やった時

正論は嫌われる

毒にも薬にもならない正論』や『その正論に愛はありますか ~正しいだけの親は要らない』にも書いているように、正論というのは嫌われるものです。

いかなる事情があろうと、正論を言われたら、ぐうの音も出ない。

たとえば、死にそうにお腹の空いた人が、思わず店先のパンを盗んでしまった。

でも、「盗みは悪いことだ」と断罪すれば、それで全てが終わりますね。

そこには、盗みを働いた人に対する想像力もなければ、貧乏をもたらした背景を分析する姿勢もない。

ただただ、「盗みは悪いことだ」という正論があるばかり。

これも一つの思考停止に他ならず、正論は、パン泥棒も、飢えたパン泥棒を生み出す社会も、パン屋も誰をも救わないのです(町中が飢えた人で溢れかえったら、皆がパンを盗みに来るでしょう)。

人間というのは、時に、とんでもない過ちを犯したりする。

なぜ、あの真面目な人が? というようなことをやってしまう。

あるいは、それが間違いと分かっても、やらざるを得ないこともある。

そんな時は、いったん正論を横において、その人の動機や価値観を理解する姿勢も大事です。

正論で人を責め立てても、悔い改めるどころか、ますます頑なになって、傷つけるだけでしょう。

正しいことは、その人の気持ちが落ち着いて、いろんな考えや価値観を受け入れられるようになった時、初めて教えてあげればいい。

相手の頭の上で、正論の鞭をぶんぶん振り回しても、誰をも幸せにしないのです。

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