復活の日

生物兵器のウイルスと人類滅亡を描く 映画『復活の日』ジャニス・イアンのYou are Love

復活の日

生物兵器MM-88を強奪したテロリストの小型飛行機が雪山に墜落し、容器から漏れ出したウイルスが雪解けと共に爆発的に増殖を始める。人類滅亡の危機に瀕して、最後の希望は、ウイルスが無力化する南極に取り残された人々だった。

現代の人類滅亡は医療崩壊と経済破綻

ちょっとだけ真面目な話を追記しておきます。

私が映画『復活の日』を初めて見たのは、中学生の時ですが、一番戦慄したのが、現場の医師や看護師が疲労困憊の末にバタバタと倒れていく場面です。自分の将来を予感したからでしょうか。他人事とは思えませんでした。ちなみに、私はプロ患児で、「病院が第二の我が家」みたいな幼少期を過ごしています。(エボラ熱と映画『アウトブレイク』ダスティン・ホフマン主演。年齢の割には、医療と人体学に詳しかった)

実際、得体の知れない病気に苦しむ患者が、24時間、ひっきりなしに病院に送り込まれ、24時間、厳戒態勢で対応に追われていたら、どれほど頑強な、どれほど若い医師や看護師でも、一週間で緊張の糸が切れます。若い医師でも、徹夜続きで体力と集中力が維持できるのは数日が限度。三日に一度は、現場を離れて、8時間は爆睡できるような環境でなければ、たとえ身体は働いていても、頭の中がボーっとして、薬液の量を間違えたり、カルテの記述を見間違えたり、ヒヤッとすることが出てきます。たまたまナースが気付いて、「先生、それじゃない!」と制止するから大事にならなかっただけで、一線を越える前の出来事(いわゆるヒヤリハット)は、どこの病院でも、日常茶飯事に起きています。言い換えれば、それだけハイストレス。肉体的にも精神的にも非常に消耗する仕事で、善意や責任感だけで乗り越えられる現場じゃないんですね。既に言い尽くされた話ですが。

『復活の日』でも、ついには医療が麻痺して、病院にも入れず、通院もできず、自宅で寝込んでいたお母さんがいつの間にか息を引き取って、子供が一人取り残されます。それに気付いた看護婦の多岐川裕美が子供を救い出し、何とか頑張ろうと試みますが、既に行政も、流通も、何もかも絶望的な状況で、最後には、「南極にいるお父さんの所に行こう」と、モーターボートで二人連れだって、沖合に出て行きます。早い話、自死するわけですね。

もちろん、これはフィクションであり、作品が書かれたのも1964年ですから、現代の医療レベルとは天地の差があります。

当時の医療レベルで考えれば、「未知のウイルスによって人類が死滅する」というのも、あながち空想とは言い切れないところがありましたが、現代は、医療技術はもちろん、情報共有や生産・物流(研究や製薬必要な物資がすぐに手に入る)も飛躍的に向上し、一部で壊滅的な打撃は受けても、映画『復活の日』のように、直ちに世界中に波及して、訳も分からぬまま、庶民がバタバタ死んでいく……という確率は低いでしょう。

それこそ、映画『12モンキーズ』や『ミッション・インポッシブル2』みたいに、テロリストがエボラウイルス並に殺傷能力の高いウイルスを飛行機やスタジアムや繁華街で大量にばらまくのでもない限り、どこかで歯止めがかけられるのが、現代の医療レベルだと思います。

ところで、『病気』というと、身体的な問題と捉えられがちですが、現代の病気は、経済的・社会的に影響を及ぼす面が非常に大きいです。

たとえば、老人介護も、昭和の時代から存在しましたし、有吉佐和子が『恍惚の人』で描いたように、認知症の進んだ高齢者を家庭内に抱えることは家族にとって大変な重荷でした。その構図は現代もまったく変わりないと思います。

ただ一点、あの頃と大きく違っているのは、まだ社会全体に病人や高齢者を支える余力があったことです。

経済も成長期でしたし、働き盛りの世代も多く、奥さんが家庭に籠もって、子供や高齢者の世話に専念しても、どうにか暮らしていけるだけのバックボーンがありました。福祉もどんどん充実して、社会的、経済的には、そこまで悲壮感も漂っていませんでした。

実際、『恍惚の人』(私は映画も原作もどちらも知っています)で描かれているのも、主婦の葛藤や夫婦関係がメインで、経済問題はほとんど言及されていません。家の中でゴタゴタ揉めながらも、旦那さんは普通に会社に出掛けるし、老人介護の為に離職や減給に直面することもない。あくまで個人の問題にとどまっているところがあります。

しかし、現代は、働き盛りの人口が急激に減少して、年金も、各種手当ても、十年後にはどうなるか分からない、というところまで来ています。

家の中に一人でも病人を抱えたら、明日の暮らしもままならない世帯が圧倒多数でしょう。

そして、以前なら、電話一本で、誰なりと援助に来てくれて、経済的な支援も望めたかもしれませんが、それも社会から尽きようとしています。

支援支援と叫んだところで、実際にそれを行う人材と、それをサポートする資金がなければ、掛け声だけで終わってしまうわけですね。

そして、今も、新型肺炎の問題が取り沙汰されていますが、これも身体的なリスクは(その他の激烈なウイルスに比べて)さほど深刻でなくても、病人を抱える家族にとっては深刻です。

昔みたいに、家に一人、寝たきりの病人を抱えても、伯父さん、従兄、近所の世話焼きおばさん、誰なりと見舞いに訪れて、家事や子守、病院の送迎を手伝ってくれた時代と異なり、今は家族単位で孤立してしまいます。

共働き家庭であれば、どちらかが休職、もしくは退職することになるでしょうし、そうなれば世帯収入も激減して、子供があれば、進学、その他にも影響します。

人手不足、資金不足の現代において、家庭内に病人を抱えることのリスクは、『復活の日』の時代より、はるかに深刻で、人類滅亡より家計の破綻の方がはるかに恐ろしいわけですね。

新型肺炎に限って言えば、「致死率はそれほど高くない」「若い人は感染しても重症になりにくい」、確かにその通りかもしれませんが、キャリアになる可能性は若い人でもあります。

アウトブレイクの記事にも書いているように、ウイルスを持っている本人はピンシャンしていても、一緒に居た人間はウイルスをうつされて、重篤な気管支炎や肺炎を引き起こす危険性は十分にありますし、若い、健康な人でも、体調を崩せば、思いがけずキャリアになることもあります。

今も高齢者の死亡や発症が相次いでいますが、まったくその通りで、若い人がキャリアとなり、町中に病気のお年寄りを大量に発生させたら、それは、個々の家庭の危機であり、しいては、医療施設の危機でもあるわけですよ。

多くの人は、「病院は清潔で、安全な場所」と思っているかもしれませんが、それは、外来から上の、病棟や検査エリアなどに限った話。

外来では、確定診断がつく前の患者さんが、あっちでゴンゴン、こっちでボリボリしながら、何十人、何百人が所狭しと腰掛けて、何時間も自分の順番を待っています。

いくらフロアを綺麗に掃除して、花や絵画を飾ったところで、衛生学的には、デンジャラスゾーンなのですよ。

実際、新米看護師が、初めて外来研修に出たら、体調を崩すことは珍しくありません。

ベテランの病棟看護師でも、久しぶりに外来の介助に来て、風邪をうつされることも珍しくありません。

外来の診察室の看護師さんが、大勢の流感患者を相手に、テキパキ仕事をしているのは、日常的にいろんな病気に接して、いろんな抗体を身体の中に培っているからで、決して不死身のレプリカントではありません。

過労とストレスで、ある一線を越えたら、彼女たちだって病気で倒れるし、診療にあたっている医師も、当直明けで一睡もしてない方もおられます。

若い時分はウナギ弁当で体力回復しても、中高年になると、そうはいかなくなるんですよ。

だから、院内感染でも、高齢の医療者からリスクが高くなるのです。

「過剰に心配しなくていい」のは確かにその通りだけども、家庭内に、高齢者、持病のある人、妊産婦、乳幼児を抱えている人にとっては、身体的リスクもさることながら、離職、休職、減給、家計破綻の危機と隣り合わせです。

いくら自分は元気でも、ウイルスを持ち運びしないで欲しい、というのが本音でしょう。

また、事情を知らない人は、「診療停止」「病院閉鎖」を、コンビニの閉店と同様に考えているかもしれませんが、皆が皆、自分で歩いて病院に通える人ばかりとは限りません。ヘルパーが必要な人もあれば、タクシーが欠かせない人もあります。それまで「バス5分」のロケーションだったのが、診療停止→転院のせいで、「電車乗り継ぎ+30分」の道程になれば、病人と介助者にとっては大変な負担です。

病気の種類によっては、簡単に転院できないケースもあります。

紹介状も必要ですし、データの受け渡しも確実に行わなければなりません。

一人の患者を他院に引き継ぎするだけでも、医療者にとっては大変な手間です。

人によっては、特殊な医療機器が必要だったり、近くにその施術を行える専門家がいない、というケースもあります。

その為に、通院に一時間もかかるような病院に行けと言われたら、そのストレスだけで重症化しますよ。

地域医療というのは、「咳が出たら、いつでも診てもらえる」という気軽さではなく、患者の生命、しいては家族の暮らしまで包括した支援を差すのであって、あっちにも、こっちにも、病院があるんやから、間に合ってるやろ……というものではないんですね。

現代における病気は、単なる「身体の痛みや疲れ」では済まず、常に経済リスクを伴っています。

それがマスになれば、社会全体に広がり、町中に、病院難民や失業者が溢れかえることになります。

決して大袈裟ではなく、今や、平素の状態でも、介護などによる家計の破綻、人手不足や経営難による医療危機に瀕しているわけですから、「病気の重い、軽い」にかかわらず、これ以上、病人を出さない為の気遣いや努力は社会的必要である、と私は思います。

……ということを、医療者は昭和の時代から叫び続けているんですけど、It’s too late なのです。

※ 以下、2009年のレビューより

『復活の日』が描く庶民の悲劇

ウイルスによる人類滅亡の恐怖を描いた小松左京氏の代表作『復活の日』。
執筆されたのは、なんと1964年で、エイズやエボラ出血熱が世界的なトピックになるずっと以前の話です。

当時は、まだ米ソ冷戦時代であり、欧米諸国と東側勢力が軍事力や政治力で争っていたと聞いても、あの時代を体験していない人にはピンとこないでしょう。
自由民主主義か、ソビエト共産主義か、世界がほぼ真っ二つに分かれて、白組VS紅組で対立していたわけですから、第三次世界大戦の恐怖は、現代の局所的なテロリズムより、はるかに身近で、生々しく、私もそうですが、当時の子供たちは、1999年7月に恐怖のアンゴルモア大王(核弾頭のような破壊兵器)が空から降ってきて、20世紀末には人類が滅亡すると、本気で恐れていたりしたのです。(ゆえに、世紀末にかけて、カルトが活発化し、信者の集団自殺や社会的孤立、我が国ではサリン事件のような、異様な動きが世界的に見られた)

その背景には、庶民が入手できる情報量が限られ、「東側」「共産主義」といっても、多くの人には、それがどんなものか、自分の目で見る機会もなかった点が大きいと思います。

現代みたいに、Google Mapで、モスクワの町並みをストリートビューで眺めたり、YouTubeでロシアの若者のヒャッハーな自撮り動画を鑑賞したり、できる環境になく、庶民が目にする情報といえば、新聞やTVの二次情報ばかり。メディアや学界の権威に「ほら、ソ連というのは、こんなに恐ろしい国ですよ。世界を軍事力で支配しようとしていますよ」と力説されたら、庶民は「怖いなぁ」としか思わないでしょう。

まさに、鉄のカーテンで仕切られた向こう側は知りようがないのが実情で、何も知らないからこそ、いっそう不安を掻き立てられ、一方的に憎むようになる。その悪循環の末の世紀末思想であり、冷戦であり、人類滅亡の預言であったと思います。

では、インターネットが普及した現代は、情報において自由公正を手にし、理性的な判断ができるようになったかといえば、決してそうではなく、むしろ、情報操作や、扇情的なデマに振り回され、いっそう不安や憎悪を掻き立てられているのが現状ではないでしょうか。

小松左京の『復活の日』では、人々が正しい情報を得ることもできず、凶暴なウイルスに感染して、ばたばたと死んでいきます。

生物兵器を持ち出したテロリストの小型飛行機が、雪山で墜落し、雪解けと共に増殖を始めたなど、考えもしません。

訳も分からず、生物兵器の犠牲となり、遂には人類滅亡と至る過程が生々しく描かれています。

これがインターネット全盛期の現代であれば、人々の無知よりも、むしろデマに重点を置いて、サスペンスが展開したと思うのですが、そのあたりは、「鉄のカーテンの向こうは分からない」、米ソ冷戦時代らしく、二大イデオロギーの覇権争いに否応なしに巻き込まれていく庶民の悲劇に焦点が当てられています。

いつの時代も、事態を悪化させるのは、人々の無知とデマ、そして政府の隠蔽主義です。

『復活の日』も、もっと早くにウイルスの正体を明らかにしていれば、人類滅亡に追い込まれる前に、ウイルスが効力を失う寒冷地に避難することも可能だったでしょうに、生物兵器とテロ事件の隠蔽を図る一人の将軍の思惑によって、その機会も失われてしまいました。

恐怖というなら、ウイルスそのものよりも、一部の人間の思惑によって、その他大勢の庶民の生命も左右される、権力欲や支配欲かもしれません。

人類滅亡とフェミニズム

女性にとって、本作で一番気になるのが、南極に逃れた生き残りのうち、女性がたった8名しか存在しない為に、複数の男性と性交渉をもち、「人類復活の為に、どんどん子供を産め」と迫られる場面でしょう。

私がこの作品を見たのは中学生の時ですが(映画、原作とも)、少女の心にも、男性らの主義主張の異様さに身震いがしたものです。

もちろん、「複数の男性と性交渉」というのは、レイプや強制ではなく、女性にも選ぶ権利はあり、気に入った女性と性交渉するには(自分の子孫を残すには)、まず手順を踏んで、交際を申し込み、女性がOKしてくれたら性交渉、という段取りが義務づけられています。

当然、申し込んだ男性の中には、お断りされる人もあるわけで、自分の子孫を残したくても残せない、シビアなシチュエーションは、人類滅亡の危機下であろうが、男余りの現代であろうが、あまり変わらないような気がします。

しかし、いよいよ人類が減少して、種の存続も危ういとなると、男性が途端に軟化し、「女性の皆さん、お願いだから、産んで下さい!」と懇願するのは、筋金入りの厚かましさというか、救いようがないですよね。

人類滅亡の原因を作ったのは、お前ら、男だろうに!!

そんな男が相手だから、女性の生き残りは、無理してまで産もうなんて思わないんだよ。

そんな男が主導する人類社会なら、滅べば?

と言いたくなるのが本作で、実際、男の管理職が、女性の皆さんに遠回しに「産んで下さい」とお願いする場面は、猛烈に腹が立つし、その場に居合わせた女性らの心境を思うと、本当にいたたまれません。

救いは、ヒロインのオリビア・ハッセーと、主人公の草刈ちゃんが、心の底から愛し合い、結ばれるという点ぐらいで、まあ、本当に、男の身勝手が際立つような作品です、女性の目から見れば。

こんな事があっさり書けるのは、小松左京氏が男性だからで、私が作者なら、女性が全員出産拒否→人類滅亡、もしくは、女性がフェミニズムを掲げて反乱、女性優位のアマゾネス社会へと変転・・になりそう。

間違っても、女性の恋心に救いを求めるようなことはないでしょう。

嫌なものはイヤ、SEXできないものはできない、それが女性の本音ですから。
人類が滅亡しようが、知ったことではないです。滅亡の原因を作ったのが、男の政治家や、男の軍人なら、尚更に。

それにしても、人類滅亡に瀕した極限状態でさえ、子孫を残せるのは、「いい男」に限られるというのは、なかなか興味深いです。

南極の生き残り組でも、女性にOKしてもらえるのは、そこそこにイケメンで、心が優しくて、いざとなれば、妻子を守る体力と知恵のある、若くて健康的な男性に限られるでしょうからね。

そうして、生存に適したDNAだけが残され、それ以外は淘汰されていくという、まことに厳しい現実が描かれている点でも、『復活の日』は様々な示唆に富んでいます。

それにしても、一人の女性が、4人の子を産んだとしても、次の世代は、8×4=32人。

そのうち半数は男児でしょうから、実質、次世代で、子を産めるのは15人前後。

その15人の少女が、がんばって4人産んだとしても、三世代目には60人。そのうち、女児は30人前後として、四世代目には、やっと120人ほどですよ。それも子供全員が健康に育ったと仮定して、です。中には、結婚も出産もイヤという女子もあるでしょうしね。

ということは、どう考えても、人類の復活は有り得ず、このまま、しょぼしょぼと力尽きて、やっぱり人類は滅亡した――というのがリアルな筋書きではないでしょうか。

そんな悲劇がイヤなら、本気で育児環境を改め、人口増に本気で取り組んで頂きたいものだと思います。

男は、権謀術策で、世界を滅ぼし

女は、ワガママで、人類を滅ぼす

※ 現代のフェミニストの皆さんが御覧になったら、発狂するような作品です(´-`)

日本の人口問題に関しては、It’s not too late というより、already end という感じですね。情けない。。

記: 2020年1月31日

『You are Love』と『復活の日』への想い

※ 2009年のレビューを一部変更

《概要》

角川商法の絶頂期、アメリカの有名俳優を迎え、前人未踏の南極ロケも敢行して、鳴り物入りで製作された近未来SFアクションの大作。

『人間の証明』『野性の証明』で立て続けに大成功を収め、飛ぶ鳥の勢いだった角川が、破格の予算を組み、外国海軍の協力まで得て、世界的ヒットを目指して、総力で取り組んだ作品だが、興行成績は今ひとつ振るわず。私の知人の話では、あの強気な角川春樹に「もう二度とこんな映画は作らない」とまで言わしめた、一種の失敗作でもある。

しかしながら、HIVウイルスで世界が騒然するずっと以前に、感染症による人類滅亡の恐怖をリアルに描き、責任を逃れようとする政府や、隠蔽工作を図る軍人、南極に残された人々の戸惑いや葛藤に焦点を当てた本作は、現代でも十分に通用する骨太なドラマであり、若かりし頃の草刈正雄と、オリヴィア・ハッセーの神秘的な美しさを堪能するだけでも見る価値はある。

恐らく、最大の敗因は、80年代のアイドル全盛期に、薬師丸ひろ子も原田知世も登場せず、ランボーみたいなアクションもなく、人生に疲れたようなオッサン俳優ばかりが物語の中心を占めて、若者の心にまったく響かなかった点ではないだろうか。

また、好景気に浮かれる時代に、人類滅亡というテーマも重すぎた。

これがゾンビ化なら、「オレたちひょうきん族」あたりでパロってくれたかもしれないが、突っ込み所もなく、おちょくるスキもなく、ただただ、物悲しい気分にさせるだけの本作は、時代の流れにあまりに逆行するものだった。何もかもが右肩上がりで、”滅亡”など程遠い時代だったから。

その点、現代なら、受け入れやすかったかもしれない。フェミニストの皆さんも、ファラリスの雄牛のごとく鼻息を荒くして、「女性に”産んで下さい”とは、けしからん!」と、大いに盛り上げて下さっただろう。

にもかかわらず、私の心に深く残っているのは、ジャニス・イアンのテーマ曲『You are Love』が非常に印象的で、毎日のようにTVやラジオで流されていたからである。

とりわけ、さびの部分の、

It’s not too late to start again

は、当時、英語の授業で習っていたtoo ~ to構文(~するには、あまりに~である)の生きた見本でもあり、「やり直すのに、遅すぎることはない」という意味が、中学生の私にも理解できて、嬉しかった。当時の英語のヒット曲は、ビートルズや、ビリー・ジョエルみたいに、中学生でもヒアリング可能な、単純で、基礎的な英文が多かったのだ(今は早口すぎて、何を歌っているのか、まったく分からない)

また、英語の歌詞の中に突如として現れる、「トゥージュルゲ・モンシェ~ル」というフランス語も大変興味深く、何故、そこだけ「トゥージュルゲ」なるのか、一人であれこれ考えたりしたものである。多分、深い意味は無いのだろうけど。

歌詞の内容は、ヒロインの心情を謳ったもの。

It’s not too late to start again は、人生を諦めかけた全ての中高年に贈りたい、愛の一文です・・・

What’s the time?
Where’s the place?
Why the line?
Where’s the race?
just in time, I see you face
Toujours gai, mon cher

You are the star
that greets the sun
Shine across my distant sky
when night is done
You’ll be the moon to light my way
Toujours gai, mon cher

It’s not too late to start again
It’s not too late
though when you go away
the skies will grey again
In the time that remains,
I will stay
Toujours gai mon cher

No regret
for the light that will not shine
No regret,
but don’t forget, the flame was mine
and in another place, in another time
Toujours gai,mon cher

It’s not too late to start again
It’s not too late
though when you go away
the skies will grey again
In the time that remains,
I will stay
Toujours gai,mon cher

Halfway measures go unsung
Take your pleasures while you’re young
Just remember, when they’re done,
Toujours gai, on cher

Amazonプライムでも視聴できます。

復活の日 ブルーレイ [Blu-ray]
出演者  草刈正雄 (出演), オリビア・ハッセー (出演), ジョージ・ケネディ (出演), 千葉真一 (出演), 緒方拳 (出演), 深作欣二 (監督)
監督  
定価  ¥2,200
中古 13点 & 新品   から
(0 件のカスタマーレビュー)

キャスティングを見て、「おお、そう言えば、千葉真一も出てたなぁ。でも何の役だっけ?」と、草刈ちゃんしか記憶に残ってない私。
草刈ちゃんのファンが、草刈ちゃんの美しさを堪能する為に見る、草刈ちゃんファンの為の、草刈ちゃん映画です。
今時のイケメン俳優とは骨格からして違うのですよ。
ボロを着ても素敵だし、無精髭が生えても素敵です❤

草刈ちゃんの元恋人の看護婦を演じた多岐川裕美もよかったです。
感染症パニックも末期状態になり、助からないと悟った祐子が、病気の子供を連れて(草刈ちゃんの友達の子供)「お父さんに会いに行こう」と当てもなくボートを走らせるシーンが今でも印象に残っています。
多岐川さんは、こういう悲劇のヒロインを演じさせたら抜群に上手いですよね。
公開当時は興行的にはあまり成功しなかった作品ですが、今、こうしてAmazonのレビューで絶賛されるということは、やはり良作なのですよ。

多岐川裕美の看護婦さん。ああ、古き佳き時代の、日本のナース・・という感じ。

多岐川裕美 復活の日

 復活の日 (ハルキ文庫) (文庫)
 著者  小松 左京 (著)
 定価  ¥525
 中古 10点 & 新品   から
  (0 件のカスタマーレビュー)

こちらが小松の親分さんの原作。執筆されたのは1964年というから驚き。
もちろん、映画とは微妙に異なっていて、小説の立場から言えば、映画「復活の日」は角川テイストに味付けされた亜流品。
でも、映画は映画として楽しませてくれるから、それで良しとしましょう(角川にアカデミックなものを求めてはいけない)。
でもレビューの評価は高いですね。
機会があれば、もう一度、手に取ってみたいです。

角川映画メモリアル
by (CD)
定価  ¥5,481
中古 19点 & 新品  ¥946 から
 (0 件のカスタマーレビュー)

で、この後、

199X年。人類は、まだ滅亡していなかった。

ドオォォォォ~ン!!!!

ときたら、傑作ですね。

私はそれしか思い浮かばない、バブル世代です。ヒャッハー!!

初稿: 2009年12月12日

e-book & note magazine
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