注目キーワード
  1. 仕事
  2. 美輪明宏
  3. キリスト教
  4. 哲学
復活の日

生物兵器のウイルスと人類滅亡を描く 映画『復活の日』ジャニス・イアンのYou are Love

復活の日

生物兵器MM-88を強奪したテロリストの小型飛行機が雪山に墜落し、容器から漏れ出したウイルスが雪解けと共に爆発的に増殖を始める。人類滅亡の危機に瀕して、最後の希望は、ウイルスが無力化する南極に取り残された人々だった。

10年以上前に懐かしさで書いた映画レビューが、こんな形でアクセスを集めるとは思いませんでした。(YouTubeの登場で、十数年ぶりにジャニス・イアンの歌曲が聴けたから)
私が医療機関で勤務していたのは随分前の話なので、今とはまったく状況が異なるかもしれませんが、看護の基本は同じだろうと思い、最近の追記分は覚え書きのように記しています。その前提で、お読み下さい。

現代の人類滅亡は医療崩壊と経済破綻

ちょっとだけ真面目な話を追記しておきます。

私が映画『復活の日』を初めて見たのは、中学生の時ですが、一番戦慄したのが、現場の医師や看護師が疲労困憊の末にバタバタと倒れていく場面です。自分の将来を予感したからでしょうか。他人事とは思えませんでした。ちなみに、私はプロ患児で、「病院が第二の我が家」みたいな幼少期を過ごしています。(エボラ熱と映画『アウトブレイク』ダスティン・ホフマン主演。年齢の割には、医療と人体学に詳しかった)

実際、得体の知れない病気に苦しむ患者が、24時間、ひっきりなしに病院に送り込まれ、24時間、厳戒態勢で対応に追われていたら、どれほど頑強な、どれほど若い医師や看護師でも、一週間で緊張の糸が切れます。若い医師でも、徹夜続きで体力と集中力が維持できるのは数日が限度。三日に一度は、現場を離れて、8時間は爆睡できるような環境でなければ、たとえ身体は働いていても、頭の中がボーっとして、薬液の量を間違えたり、カルテの記述を見間違えたり、ヒヤッとすることが出てきます。たまたまナースが気付いて、「先生、それじゃない!」と制止するから大事にならなかっただけで、一線を越える前の出来事(いわゆるヒヤリハット)は、どこの病院でも、日常茶飯事に起きています。言い換えれば、それだけハイストレス。肉体的にも精神的にも非常に消耗する仕事で、善意や責任感だけで乗り越えられる現場じゃないんですね。既に言い尽くされた話ですが。

『復活の日』でも、ついには医療が麻痺して、病院にも入れず、通院もできず、自宅で寝込んでいたお母さんがいつの間にか息を引き取って、子供が一人取り残されます。それに気付いた看護婦の多岐川裕美が子供を救い出し、何とか頑張ろうと試みますが、既に行政も、流通も、何もかも絶望的な状況で、最後には、「南極にいるお父さんの所に行こう」と、モーターボートで二人連れだって、沖合に出て行きます。早い話、自死するわけですね。

もちろん、これはフィクションであり、作品が書かれたのも1964年ですから、現代の医療レベルとは天地の差があります。

当時の医療レベルで考えれば、「未知のウイルスによって人類が死滅する」というのも、あながち空想とは言い切れないところがありましたが、現代は、医療技術はもちろん、情報共有や生産・物流(研究や製薬必要な物資がすぐに手に入る)も飛躍的に向上し、一部で壊滅的な打撃は受けても、映画『復活の日』のように、直ちに世界中に波及して、訳も分からぬまま、庶民がバタバタ死んでいく……という確率は低いでしょう。

それこそ、映画『12モンキーズ』や『ミッション・インポッシブル2』みたいに、テロリストがエボラウイルス並に殺傷能力の高いウイルスを飛行機やスタジアムや繁華街で大量にばらまくのでもない限り、どこかで歯止めがかけられるのが、現代の医療レベルだと思います。

ところで、『病気』というと、身体的な問題と捉えられがちですが、現代の病気は、経済的・社会的に影響を及ぼす面が非常に大きいです。

たとえば、老人介護も、昭和の時代から存在しましたし、有吉佐和子が『恍惚の人』で描いたように、認知症の進んだ高齢者を家庭内に抱えることは家族にとって大変な重荷でした。その構図は現代もまったく変わりないと思います。

ただ一点、あの頃と大きく違っているのは、まだ社会全体に病人や高齢者を支える余力があったことです。

経済も成長期でしたし、働き盛りの世代も多く、奥さんが家庭に籠もって、子供や高齢者の世話に専念しても、どうにか暮らしていけるだけのバックボーンがありました。福祉もどんどん充実して、社会的、経済的には、そこまで悲壮感も漂っていませんでした。

実際、『恍惚の人』(私は映画も原作もどちらも知っています)で描かれているのも、主婦の葛藤や夫婦関係がメインで、経済問題はほとんど言及されていません。家の中でゴタゴタ揉めながらも、旦那さんは普通に会社に出掛けるし、老人介護の為に離職や減給に直面することもない。あくまで個人の問題にとどまっているところがあります。

しかし、現代は、働き盛りの人口が急激に減少して、年金も、各種手当ても、十年後にはどうなるか分からない、というところまで来ています。

家の中に一人でも病人を抱えたら、明日の暮らしもままならない世帯が圧倒多数でしょう。

そして、以前なら、電話一本で、誰なりと援助に来てくれて、経済的な支援も望めたかもしれませんが、それも社会から尽きようとしています。

支援支援と叫んだところで、実際にそれを行う人材と、それをサポートする資金がなければ、掛け声だけで終わってしまうわけですね。

そして、今も、新型肺炎の問題が取り沙汰されていますが、これも身体的なリスクは(その他の激烈なウイルスに比べて)さほど深刻でなくても、病人を抱える家族にとっては深刻です。

昔みたいに、家に一人、寝たきりの病人を抱えても、伯父さん、従兄、近所の世話焼きおばさん、誰なりと見舞いに訪れて、家事や子守、病院の送迎を手伝ってくれた時代と異なり、今は家族単位で孤立してしまいます。

共働き家庭であれば、どちらかが休職、もしくは退職することになるでしょうし、そうなれば世帯収入も激減して、子供があれば、進学、その他にも影響します。

人手不足、資金不足の現代において、家庭内に病人を抱えることのリスクは、『復活の日』の時代より、はるかに深刻で、人類滅亡より家計の破綻の方がはるかに恐ろしいわけですね。

新型肺炎に限って言えば、「致死率はそれほど高くない」「若い人は感染しても重症になりにくい」、確かにその通りかもしれませんが、キャリアになる可能性は若い人でもあります。

アウトブレイクの記事にも書いているように、ウイルスを持っている本人はピンシャンしていても、一緒に居た人間はウイルスをうつされて、重篤な気管支炎や肺炎を引き起こす危険性は十分にありますし、若い、健康な人でも、体調を崩せば、思いがけずキャリアになることもあります。

今も高齢者の死亡や発症が相次いでいますが、まったくその通りで、若い人がキャリアとなり、町中に病気のお年寄りを大量に発生させたら、それは、個々の家庭の危機であり、しいては、医療施設の危機でもあるわけですよ。

多くの人は、「病院は清潔で、安全な場所」と思っているかもしれませんが、それは、外来から上の、病棟や検査エリアなどに限った話。

外来では、確定診断がつく前の患者さんが、あっちでゴンゴン、こっちでボリボリしながら、何十人、何百人が所狭しと腰掛けて、何時間も自分の順番を待っています。

いくらフロアを綺麗に掃除して、花や絵画を飾ったところで、衛生学的には、デンジャラスゾーンなのですよ。

実際、新米看護師が、初めて外来研修に出たら、体調を崩すことは珍しくありません。

ベテランの病棟看護師でも、久しぶりに外来の介助に来て、風邪をうつされることも珍しくありません。

外来の診察室の看護師さんが、大勢の流感患者を相手に、テキパキ仕事をしているのは、日常的にいろんな病気に接して、いろんな抗体を身体の中に培っているからで、決して不死身のレプリカントではありません。

過労とストレスで、ある一線を越えたら、彼女たちだって病気で倒れるし、診療にあたっている医師も、当直明けで一睡もしてない方もおられます。

若い時分はウナギ弁当で体力回復しても、中高年になると、そうはいかなくなるんですよ。

だから、院内感染でも、高齢の医療者からリスクが高くなるのです。

「過剰に心配しなくていい」のは確かにその通りだけども、家庭内に、高齢者、持病のある人、妊産婦、乳幼児を抱えている人にとっては、身体的リスクもさることながら、離職、休職、減給、家計破綻の危機と隣り合わせです。

いくら自分は元気でも、ウイルスを持ち運びしないで欲しい、というのが本音でしょう。

また、事情を知らない人は、「診療停止」「病院閉鎖」を、コンビニの閉店と同様に考えているかもしれませんが、皆が皆、自分で歩いて病院に通える人ばかりとは限りません。ヘルパーが必要な人もあれば、タクシーが欠かせない人もあります。それまで「バス5分」のロケーションだったのが、診療停止→転院のせいで、「電車乗り継ぎ+30分」の道程になれば、病人と介助者にとっては大変な負担です。

病気の種類によっては、簡単に転院できないケースもあります。

紹介状も必要ですし、データの受け渡しも確実に行わなければなりません。

一人の患者を他院に引き継ぎするだけでも、医療者にとっては大変な手間です。

人によっては、特殊な医療機器が必要だったり、近くにその施術を行える専門家がいない、というケースもあります。

その為に、通院に一時間もかかるような病院に行けと言われたら、そのストレスだけで重症化しますよ。

地域医療というのは、「咳が出たら、いつでも診てもらえる」という気軽さではなく、患者の生命、しいては家族の暮らしまで包括した支援を差すのであって、あっちにも、こっちにも、病院があるんやから、間に合ってるやろ……というものではないんですね。

現代における病気は、単なる「身体の痛みや疲れ」では済まず、常に経済リスクを伴っています。

それがマスになれば、社会全体に広がり、町中に、病院難民や失業者が溢れかえることになります。

決して大袈裟ではなく、今や、平素の状態でも、介護などによる家計の破綻、人手不足や経営難による医療危機に瀕しているわけですから、「病気の重い、軽い」にかかわらず、これ以上、病人を出さない為の気遣いや努力は社会的必要である、と私は思います。

……ということを、医療者は昭和の時代から叫び続けているんですけど、It’s too late なのです。

参考として、《肺炎と風邪の違い》について、エボラ熱と映画『アウトブレイク』ダスティン・ホフマン主演に簡単に記述しています。

オフィシャルな情報は、下記リンクに分かりやすい解説がありますので、ぜひ目を通して下さい。


図: 肺炎予防.jp 『肺炎と風邪との違い、肺炎のリスクを知って下さい』

済生会病院 『本当にあだの風邪? それ、肺炎かもしれません』 

上手な病院のかかり方 ~パニックに陥らない為に

心配で見に来ている人も多いようなので、追記です

私も現役を退いて久しいので、あくまで体験談になりますけど、何かの参考にして頂ければ幸いです。

今度の新型コロナウイルス感染症について、一般市民が混乱するのは、受診の基準が曖昧だからと想います。

これだけ大問題になっているのに、「37.5度以上の発熱があっても、四日間は自宅待機して下さい」とか、「条件に該当する人だけ検査します」という話になれば、「その間に悪化して、取り替えのつかないことになったらどうするんや!」と不安に思うのが当然です。

これはもう完全に説明不足というか、、、有志の医療関係者が、Twitterなどを通して、「こうして下さい」と助言しても、一般人には理解できないことの方が圧倒的に多いと思うんですね。

またこう言うと弊害があるかもしれませんが、今、この瞬間、現場で対応に追われている医療関係者は、SNSやブログでじっくり発信するヒマもなどないし、第一に、情報守秘の義務がありますから、迂闊なことも口にできないのが現状です。

だから、余計で、現場の様子が正しく伝わらず、一般の患者さんも混乱されるのだと思います。

もし、今、私が患者さん家族から「激しく咳き込んで、微熱もある。渡航者でもないし、陽性患者に接触した覚えもない。どうしたらいいか」という相談の電話を受け取ったら、このように答えるだろうということをメモ書きしておきますね。

まず、「37.5度以上の発熱が続いて、喉も痛く、咳も出る。だが、呼吸困難というほどでもない。いつもの風邪みたいだけど、コロナが心配……」という場合は、近所のかかりつけのお医者さん、または内科や呼吸器を専門にしている診療所(クリニック)を受診して下さい。

一般人の中には、「町医者はあかん。大学病院とか、市立病院とか、大きな病院でないと、検査してもらえへん」と、有名な大手の病院に直行される方が少なくないですが、その”町医者”でも、優れた人脈を持っておられる方はたくさんいらっしゃいます。

自分の先輩や恩師が、大学病院の内科部長であるとか。

自分自身が、市立病院の内科医だったとか。

本当に状態が悪ければ、そうした人脈を駆使して、最優先で検査や治療が受けられるよう、根回しして下さるので、どんどん利用すればいいんですよ。

医療業界において、一番モノをいうのは、「ドクターの紹介状」です。

たとえ“町医者”でも、懇意にしてしている医師は多いですし、「○○クリニックの山田先生の紹介か。あの先生が《肺炎疑い》と言うからには、ただ事ではないやろ。聴診や血液検査のデータもかなり悪いな。看護師さーん、検査室と内科病棟に電話して、空きがないか、聞いてくれるかー?」みたいな感じで、トントン拍子に、治療の段取りが進むんですね。

また、一般の方は、「レントゲンやCTを撮影しなあかん。町医者ではちゃんと診てもらわれへん」と、聴診を見下げるケースが多いですが、胸に聴診器をあてて、呼吸音を聞けば、大概のことは分かります。

・ 呼気は肺の隅々まで行き渡っているか

・ 呼吸音はクリアで、ゴロゴロ、バリバリと、雑音が聞こえないか(分泌物の貯留や肺組織の炎症)

・ 呼吸音に左右差はないか

・ 心臓の雑音や、脈拍の乱れはないか

胸部レントゲンや胸部CTは、「自分の聴診が正しいか否か」の証拠固めであり、確定診断をつける為のデータの一つであって、レントゲンやCTをしなければ、何も治療できないわけではありません。

聴診や一般的な血液検査から、炎症、もしくは呼吸器不全の兆候が見られたら、治療開始は可能です。

まず、喉の痛みや激しい咳など、患者さんの症状にあわせた対症療法(解熱鎮痛剤、鎮咳剤など)から始めて、様子を見ながら、徐々に次のレベルの検査や治療を取り入れます。

検査する以前から、顔面蒼白、意識混濁、手足のしびれなど、重篤な症状が現れているなら別ですが、本人の免疫機能によって回復が見込まれる場合は、めくらめっぽうに薬剤や酸素を投与する方が、かえって身体に負担をかけるからです。

それでも、ゴンゴンと咳が続く中、自宅待機も不安だと思いますので、観察のポイントを挙げておきます。

1) 呼吸は正常か

ゴンゴンと激しい咳が続いても、「普通に息を吸ったり、吐いたりできる」「室内を歩いただけで胸が苦しくなることはない」「眠っている間は、咳が収まっている(ブツ切れでも睡眠が取れる)」「布団に横になることができる」等々、呼吸器(特に肺臓)が正常に機能しているなら、もう少し様子を見ます。

肺炎というのは、肺の主要な機能である《換気》が正常に行われず、体内の酸素不足と二酸化炭素の貯留の状態が続いて、ついには、手足のしびれや意識混濁など、全身に重篤な症状が現れることで、「激しい咳」とは意味が異なるからです。

喉の痛みや激しい咳(上気道炎など)は、そこに至るまでの前段階であって、呼吸=肺の換気が正常に行われている間は、「ただちに人工呼吸器」みたいな事態にはならないです。

全身に酸素が行き渡り、悪い二酸化炭素が呼気によって体外に吐き出される間は、まだまだ免疫細胞が戦えますから、

咳の状態も、大事な観察のポイントですが、まずは、「呼吸そのもの」に注意して下さい。

・ ゆっくり、深く、息を吸い込んで、ふーっと吐き出すことができるか

・ 一分間の呼吸数は正常か(肺の換気が正常に行われず、体内が酸素不足になると、身体はもっと酸素を取り込もうとして、ハァハァと、呼吸が浅く、速くなります。重症になれば、ベッドに横になることもできません。横隔膜が上がって、呼吸器が圧迫されて、余計で苦しくなるからです)

・ 顔面や手指が蒼白になってないか(体内が酸素不足に陥ると、蝋人形みたいな肌色になってきます)

・ 脈が異常に速くなってないか (酸素不足の身体に必死に酸素を送ろうとして、、心臓もバクバク状態になります)

2) 体熱が徐々に上昇傾向にあるか

一般的な風邪の発熱と、重篤な感染症の体温の上がり方は、微妙に異なります。

一般的な風邪の場合。

37.5度 → 38.2度(解熱剤を飲む) → 37.1度 → 37.6度 (なかなか下がりきらないな~)

こういうアップダウンを繰り返して、徐々に平熱に戻っていきます。

重篤な感染症の場合。

37.5度 → 38.2度(解熱剤を飲む) → 37.6度 → 38.5度(解熱剤) → 37.5度 → 39.0度

ボトムラインが正常値に戻ることなく、どんどん上昇していく、もしくは、熱の下がりきらない状態がずっと続きます。

その点、一般的な風邪は、一時期、体温が上昇しても、解熱剤を飲めば、正常値に近付く。

再び発熱しても、前回と同じ、もしくは、ちょっと低いぐらい。

という感じで、徐々に正常値に戻るのが一般的です。

しかし、解熱剤を飲んでも、じっと休んでいても、ボトムラインが37.5度を下回ることなく、どんどん上昇するようなら、4日間の自宅待機を待たず、すぐに近くのクリニックに相談することをおすすめします。

コロナウイルスが気になるのであれば、まずは、クリニックに電話して、患者さんの少ない時間帯に予約してもらうのも一つの手です。(診療時間の最後の方とか)

事前に連絡しておけば、医療者も心構えができますし、「もしや」の場合を想定して、書類などの下準備もできますから。

一番よくないのは、「町医者はあかん」「○○病院ではすぐにCTをしてくれへんかった」と、あちこちの病院に駆け込んで、体調の悪い患者さんを連れ回すことです。

本当に具合が悪ければ、移動だけでも大変な負担ですし、あれいや、これいやと、連れ回している間に、どんどん適切な治療の機会は失われていくのですよ。

先にも述べたように、医療業界で一番モノを言うのは「ドクターの紹介状」です。

状態によっては、クリニックの先生が自ら、大学病院の偉い先生に電話して、段取りしてくれる事もあります。

患者判断で、あちこち駆け回るより、はるかに効率的で、安全なんですよ。

救急車を呼ぶほどの重篤な症状でもない限り、まずは、近くのクリニックに相談して、胸の音を聴診器で聞いてもらって、ちゃんと呼吸器が正常に機能しているかどうか、確かめて下さい。

呼吸音もクリアで、チアノーゼも手足の震えも頻脈もない。熱も高いけれど、異常な熱のパターンではないし、食事や飲水も問題ない程度であれば、夜中にゴンゴンと咳が出て、つらくても、今しばらく自宅療養で様子を見ましょう。

しかし、「呼吸や脈が異常に速くなる」「室内をちょっと歩いただけで、胸が潰れそう」「ベッドに横になっておれないほど苦しい」「激しい頭痛や嘔吐がある」など、いつもの風邪と違う症状が出て来たら、すぐに再診しましょう。

その時も、「やっぱり町医者はあかん」で、いきなり総合病院に押しかけるのではなく、最初に受診したドクターの紹介状をもらって下さい。

そうすれば、最短距離で、次段階の検査や治療に進むことができます。

多分、これまでの経験や、ネットで見聞きしたことが引き金となり、医療不信や大病院信仰があるのかもしれませんけど、一般的には、掛け持ちするほど不利になりやすいので。

患者さんを失望させるような態度や言動をとる医療者がいるのもまた事実で、それは本当に申し訳なく感じています。

しかし、今回の新型肺炎に関しては、十分な休養と体力作りで打ち勝てる部分も大きいので、慌てず、騒がず、近所の“町医者”を上手に利用して、この季節を乗り切って下さい。

※ 現在、医療機関向けのネットワークも着々と準備が進んでいるようなので、ちゃんとステップを踏めば、診療拒否で手遅れになることは無いと思います。(一番問題なのは、納得がいかないからと、紹介状も無しに、次々と病院を訪ね歩くことです)


※ 以下、2009年のレビューより

『復活の日』が描く庶民の悲劇

ウイルスによる人類滅亡の恐怖を描いた小松左京氏の代表作『復活の日』。
執筆されたのは、なんと1964年で、エイズやエボラ出血熱が世界的なトピックになるずっと以前の話です。

当時は、まだ米ソ冷戦時代であり、欧米諸国と東側勢力が軍事力や政治力で争っていたと聞いても、あの時代を体験していない人にはピンとこないでしょう。
自由民主主義か、ソビエト共産主義か、世界がほぼ真っ二つに分かれて、白組VS紅組で対立していたわけですから、第三次世界大戦の恐怖は、現代の局所的なテロリズムより、はるかに身近で、生々しく、私もそうですが、当時の子供たちは、1999年7月に恐怖のアンゴルモア大王(核弾頭のような破壊兵器)が空から降ってきて、20世紀末には人類が滅亡すると、本気で恐れていたりしたのです。(ゆえに、世紀末にかけて、カルトが活発化し、信者の集団自殺や社会的孤立、我が国ではサリン事件のような、異様な動きが世界的に見られた)

その背景には、庶民が入手できる情報量が限られ、「東側」「共産主義」といっても、多くの人には、それがどんなものか、自分の目で見る機会もなかった点が大きいと思います。

現代みたいに、Google Mapで、モスクワの町並みをストリートビューで眺めたり、YouTubeでロシアの若者のヒャッハーな自撮り動画を鑑賞したり、できる環境になく、庶民が目にする情報といえば、新聞やTVの二次情報ばかり。メディアや学界の権威に「ほら、ソ連というのは、こんなに恐ろしい国ですよ。世界を軍事力で支配しようとしていますよ」と力説されたら、庶民は「怖いなぁ」としか思わないでしょう。

まさに、鉄のカーテンで仕切られた向こう側は知りようがないのが実情で、何も知らないからこそ、いっそう不安を掻き立てられ、一方的に憎むようになる。その悪循環の末の世紀末思想であり、冷戦であり、人類滅亡の預言であったと思います。

では、インターネットが普及した現代は、情報において自由公正を手にし、理性的な判断ができるようになったかといえば、決してそうではなく、むしろ、情報操作や、扇情的なデマに振り回され、いっそう不安や憎悪を掻き立てられているのが現状ではないでしょうか。

小松左京の『復活の日』では、人々が正しい情報を得ることもできず、凶暴なウイルスに感染して、ばたばたと死んでいきます。

生物兵器を持ち出したテロリストの小型飛行機が、雪山で墜落し、雪解けと共に増殖を始めたなど、考えもしません。

訳も分からず、生物兵器の犠牲となり、遂には人類滅亡と至る過程が生々しく描かれています。

これがインターネット全盛期の現代であれば、人々の無知よりも、むしろデマに重点を置いて、サスペンスが展開したと思うのですが、そのあたりは、「鉄のカーテンの向こうは分からない」、米ソ冷戦時代らしく、二大イデオロギーの覇権争いに否応なしに巻き込まれていく庶民の悲劇に焦点が当てられています。

いつの時代も、事態を悪化させるのは、人々の無知とデマ、そして政府の隠蔽主義です。

『復活の日』も、もっと早くにウイルスの正体を明らかにしていれば、人類滅亡に追い込まれる前に、ウイルスが効力を失う寒冷地に避難することも可能だったでしょうに、生物兵器とテロ事件の隠蔽を図る一人の将軍の思惑によって、その機会も失われてしまいました。

恐怖というなら、ウイルスそのものよりも、一部の人間の思惑によって、その他大勢の庶民の生命も左右される、権力欲や支配欲かもしれません。

人類滅亡とフェミニズム

女性にとって、本作で一番気になるのが、南極に逃れた生き残りのうち、女性がたった8名しか存在しない為に、複数の男性と性交渉をもち、「人類復活の為に、どんどん子供を産め」と迫られる場面でしょう。

私がこの作品を見たのは中学生の時ですが(映画、原作とも)、少女の心にも、男性らの主義主張の異様さに身震いがしたものです。

もちろん、「複数の男性と性交渉」というのは、レイプや強制ではなく、女性にも選ぶ権利はあり、気に入った女性と性交渉するには(自分の子孫を残すには)、まず手順を踏んで、交際を申し込み、女性がOKしてくれたら性交渉、という段取りが義務づけられています。

当然、申し込んだ男性の中には、お断りされる人もあるわけで、自分の子孫を残したくても残せない、シビアなシチュエーションは、人類滅亡の危機下であろうが、男余りの現代であろうが、あまり変わらないような気がします。

しかし、いよいよ人類が減少して、種の存続も危ういとなると、男性が途端に軟化し、「女性の皆さん、お願いだから、産んで下さい!」と懇願するのは、筋金入りの厚かましさというか、救いようがないですよね。

人類滅亡の原因を作ったのは、お前ら、男だろうに!!

そんな男が相手だから、女性の生き残りは、無理してまで産もうなんて思わないんだよ。

そんな男が主導する人類社会なら、滅べば?

と言いたくなるのが本作で、実際、男の管理職が、女性の皆さんに遠回しに「産んで下さい」とお願いする場面は、猛烈に腹が立つし、その場に居合わせた女性らの心境を思うと、本当にいたたまれません。

救いは、ヒロインのオリビア・ハッセーと、主人公の草刈ちゃんが、心の底から愛し合い、結ばれるという点ぐらいで、まあ、本当に、男の身勝手が際立つような作品です、女性の目から見れば。

こんな事があっさり書けるのは、小松左京氏が男性だからで、私が作者なら、女性が全員出産拒否→人類滅亡、もしくは、女性がフェミニズムを掲げて反乱、女性優位のアマゾネス社会へと変転・・になりそう。

間違っても、女性の恋心に救いを求めるようなことはないでしょう。

嫌なものはイヤ、SEXできないものはできない、それが女性の本音ですから。
人類が滅亡しようが、知ったことではないです。滅亡の原因を作ったのが、男の政治家や、男の軍人なら、尚更に。

それにしても、人類滅亡に瀕した極限状態でさえ、子孫を残せるのは、「いい男」に限られるというのは、なかなか興味深いです。

南極の生き残り組でも、女性にOKしてもらえるのは、そこそこにイケメンで、心が優しくて、いざとなれば、妻子を守る体力と知恵のある、若くて健康的な男性に限られるでしょうからね。

そうして、生存に適したDNAだけが残され、それ以外は淘汰されていくという、まことに厳しい現実が描かれている点でも、『復活の日』は様々な示唆に富んでいます。

それにしても、一人の女性が、4人の子を産んだとしても、次の世代は、8×4=32人。

そのうち半数は男児でしょうから、実質、次世代で、子を産めるのは15人前後。

その15人の少女が、がんばって4人産んだとしても、三世代目には60人。そのうち、女児は30人前後として、四世代目には、やっと120人ほどですよ。それも子供全員が健康に育ったと仮定して、です。中には、結婚も出産もイヤという女子もあるでしょうしね。

ということは、どう考えても、人類の復活は有り得ず、このまま、しょぼしょぼと力尽きて、やっぱり人類は滅亡した――というのがリアルな筋書きではないでしょうか。

そんな悲劇がイヤなら、本気で育児環境を改め、人口増に本気で取り組んで頂きたいものだと思います。

男は、権謀術策で、世界を滅ぼし

女は、ワガママで、人類を滅ぼす

※ 現代のフェミニストの皆さんが御覧になったら、発狂するような作品です(´-`)

日本の人口問題に関しては、It’s not too late というより、already end という感じですね。情けない。。

記: 2020年1月31日

『You are Love』と『復活の日』への想い

※ 2009年のレビューを一部変更

《概要》

角川商法の絶頂期、アメリカの有名俳優を迎え、前人未踏の南極ロケも敢行して、鳴り物入りで製作された近未来SFアクションの大作。

『人間の証明』『野性の証明』で立て続けに大成功を収め、飛ぶ鳥の勢いだった角川が、破格の予算を組み、外国海軍の協力まで得て、世界的ヒットを目指して、総力で取り組んだ作品だが、興行成績は今ひとつ振るわず。私の知人の話では、あの強気な角川春樹に「もう二度とこんな映画は作らない」とまで言わしめた、一種の失敗作でもある。

しかしながら、HIVウイルスで世界が騒然するずっと以前に、感染症による人類滅亡の恐怖をリアルに描き、責任を逃れようとする政府や、隠蔽工作を図る軍人、南極に残された人々の戸惑いや葛藤に焦点を当てた本作は、現代でも十分に通用する骨太なドラマであり、若かりし頃の草刈正雄と、オリヴィア・ハッセーの神秘的な美しさを堪能するだけでも見る価値はある。

恐らく、最大の敗因は、80年代のアイドル全盛期に、薬師丸ひろ子も原田知世も登場せず、ランボーみたいなアクションもなく、人生に疲れたようなオッサン俳優ばかりが物語の中心を占めて、若者の心にまったく響かなかった点ではないだろうか。

また、好景気に浮かれる時代に、人類滅亡というテーマも重すぎた。

これがゾンビ化なら、「オレたちひょうきん族」あたりでパロってくれたかもしれないが、突っ込み所もなく、おちょくるスキもなく、ただただ、物悲しい気分にさせるだけの本作は、時代の流れにあまりに逆行するものだった。何もかもが右肩上がりで、”滅亡”など程遠い時代だったから。

その点、現代なら、受け入れやすかったかもしれない。フェミニストの皆さんも、ファラリスの雄牛のごとく鼻息を荒くして、「女性に”産んで下さい”とは、けしからん!」と、大いに盛り上げて下さっただろう。

にもかかわらず、私の心に深く残っているのは、ジャニス・イアンのテーマ曲『You are Love』が非常に印象的で、毎日のようにTVやラジオで流されていたからである。

とりわけ、さびの部分の、

It’s not too late to start again

は、当時、英語の授業で習っていたtoo ~ to構文(~するには、あまりに~である)の生きた見本でもあり、「やり直すのに、遅すぎることはない」という意味が、中学生の私にも理解できて、嬉しかった。当時の英語のヒット曲は、ビートルズや、ビリー・ジョエルみたいに、中学生でもヒアリング可能な、単純で、基礎的な英文が多かったのだ(今は早口すぎて、何を歌っているのか、まったく分からない)

また、英語の歌詞の中に突如として現れる、「トゥージュルゲ・モンシェ~ル」というフランス語も大変興味深く、何故、そこだけ「トゥージュルゲ」なるのか、一人であれこれ考えたりしたものである。多分、深い意味は無いのだろうけど。

歌詞の内容は、ヒロインの心情を謳ったもの。

It’s not too late to start again は、人生を諦めかけた全ての中高年に贈りたい、愛の一文です・・・

What’s the time?
Where’s the place?
Why the line?
Where’s the race?
just in time, I see you face
Toujours gai, mon cher

You are the star
that greets the sun
Shine across my distant sky
when night is done
You’ll be the moon to light my way
Toujours gai, mon cher

It’s not too late to start again
It’s not too late
though when you go away
the skies will grey again
In the time that remains,
I will stay
Toujours gai mon cher

No regret
for the light that will not shine
No regret,
but don’t forget, the flame was mine
and in another place, in another time
Toujours gai,mon cher

It’s not too late to start again
It’s not too late
though when you go away
the skies will grey again
In the time that remains,
I will stay
Toujours gai,mon cher

Halfway measures go unsung
Take your pleasures while you’re young
Just remember, when they’re done,
Toujours gai, on cher

Amazonプライムでも視聴できます。

復活の日 ブルーレイ [Blu-ray]
出演者  草刈正雄 (出演), オリビア・ハッセー (出演), ジョージ・ケネディ (出演), 千葉真一 (出演), 緒方拳 (出演), 深作欣二 (監督)
監督  
定価  ¥5,321
中古 5点 & 新品   から

キャスティングを見て、「おお、そう言えば、千葉真一も出てたなぁ。でも何の役だっけ?」と、草刈ちゃんしか記憶に残ってない私。
草刈ちゃんのファンが、草刈ちゃんの美しさを堪能する為に見る、草刈ちゃんファンの為の、草刈ちゃん映画です。
今時のイケメン俳優とは骨格からして違うのですよ。
ボロを着ても素敵だし、無精髭が生えても素敵です❤

草刈ちゃんの元恋人の看護婦を演じた多岐川裕美もよかったです。
感染症パニックも末期状態になり、助からないと悟った祐子が、病気の子供を連れて(草刈ちゃんの友達の子供)「お父さんに会いに行こう」と当てもなくボートを走らせるシーンが今でも印象に残っています。
多岐川さんは、こういう悲劇のヒロインを演じさせたら抜群に上手いですよね。
公開当時は興行的にはあまり成功しなかった作品ですが、今、こうしてAmazonのレビューで絶賛されるということは、やはり良作なのですよ。

多岐川裕美の看護婦さん。ああ、古き佳き時代の、日本のナース・・という感じ。

多岐川裕美 復活の日

 復活の日 (ハルキ文庫) (文庫)
 著者  小松 左京 (著)
 定価  ¥12,180
 中古 12点 & 新品  ¥2,200 から

こちらが小松の親分さんの原作。執筆されたのは1964年というから驚き。
もちろん、映画とは微妙に異なっていて、小説の立場から言えば、映画「復活の日」は角川テイストに味付けされた亜流品。
でも、映画は映画として楽しませてくれるから、それで良しとしましょう(角川にアカデミックなものを求めてはいけない)。
でもレビューの評価は高いですね。
機会があれば、もう一度、手に取ってみたいです。

角川映画メモリアル by 日本コロムビア
 定価  ¥5,513
 中古 16点 & 新品  ¥900 から

で、この後、

199X年。人類は、まだ滅亡していなかった。

ドオォォォォ~ン!!!!

ときたら、傑作ですね。

私はそれしか思い浮かばない、バブル世代です。ヒャッハー!!

初稿: 2009年12月12日

海洋小説 《曙光》 MORGENROOD
ブックカバー
宇宙文明を支える稀少金属ニムロディウムをめぐる企業の攻防と、海洋社会の未来を描く人間ドラマ。心に傷を負った潜水艇のパイロットが、恋と仕事を通して成長する物語です。