仏陀

笑って、死なせて ~死は人生の集積

仏陀

もう二十年ぐらい前になるだろうか。
角川映画の全盛期、大ヒット作『人間の証明』に続く企画として、同じ森村誠一さん原作の『野生の証明』が映画化された。

主演は、日本一無口が似合う男、高倉健。
その愛娘を演じたのは、「目に不思議な光をもつ少女」という独特のイメージで、何千人という少女達の中から選ばれた、薬師丸ひろ子だ。

当時は、「おと~さ~ん」という薬師丸ひろ子の愛らしい叫びと共に、
『オオカミは生きろ、ブタは死ね』
『男は、強くなければ生きられない。優しくなければ、生きている資格はない』
という、探偵作家レイモンド・チャンドラーの名言も大流行したのだが、町田義人の歌う主題歌もなかなか印象的だった。

男は 誰も皆 無口な兵士
笑って 死ねる人生
それさえ あればいい

ああ 瞼を開くな
ああ 美しい人よ

無理に 向ける この背中を
見られたくはないから

生まれて初めて辛い
こんなにも 別れが

当時、私は“お子さま”だったにもかかわらず、「好きな俳優 高倉健 と スティーブ・マックイーン」という渋好みで、『酸いも甘いもかみ分けたような、寡黙で落ち着きのある大人の男』が理想だったせいか、「笑って 死ねる人生」という言葉の響きにすごく惹かれたものだった。

ハリウッド風に喩えれば、「ふっ」と笑みをたたえて死んで行くハンフリー・ボガードか。
ナイフで刺されようが、銃で撃たれようが、荒野で一人くたばろうが、人に裏切られようが、最後の表情は限りなくキザな「ふっ」。

それは「人生なんてこんなもの」という諦めでも、空威張りでもなく、全てを超越したような、透明な清々しさに彩られた笑みなのだ。

私もいろんな人の死の床に立ち会ったが、笑って死んで行く人など本当に希だ。
『死は、人生の集積である』という名言があるが、まさにその通り。
人間、死期が近づくと、その表情は人生の内容に応じて、だいたい三つの様相に分かれる。
一つは、人間そのもの。言い換えれば、“人間”のまんま。
あるいは、修羅。
死に瀕して、生きている間に消化しきれなかった、悔い、怒り、苦悩、怨みなどが顔に張り付く。時に、恐ろしいほどの険しさを呈する。
そして、菩薩。
何もかも浄われたような、仏のように美しい顔だ。

人間、死ぬ時は、身ひとつ、魂ひとつ。
名声を得、巨万の富を築いた一流企業の社長でも、魂が荒んでいれば修羅の顔で死んで行くし、名もなく金もない下町のオッチャンでも幸せであれば仏のように清々しい顔で息を引き取る。
その様を見ていると、人間の一生というのは、人格を高め、魂を磨くためにあるのだという事がよく分かる。
お金も地位も、あくまで過程に付随するものでしかない。
死に瀕した時、持って行けるのは、自分の魂だけだ。
そして二度とやり直しは効かない。
どこかで人生の意義を見誤ると、死に臨む『最後の審判』で、救いようのない地獄を味わうことになる。

『終わり良ければ全て良し』という言葉があるが、人間の一生も最期が肝心だ。この画竜点睛を欠くと、生きている間にどんなに立派なものを築いても、悔いを残してしまう。
そして人間にとって最大の不幸は、「やり直したくても、やり直しが効かない」ということだ。
人生は有限で、過ぎた時間は二度と返らない。
しかも、自分の悔いや過ちや良心の責めというものは、死ぬまで心を離ず、死に瀕して、自分の持ち物が「魂」だけになった時、そういうものが束になって襲ってくる。
『どんな罪人も、最後の瞬間は赦されたいと思うもの』というけれど、キリスト教でも仏教でも、聖職者が死に瀕した人間の告白を聞くのは、そういう救いが必要だからだ。
どんな人間も、最後には、自分の全存在を肯定されたいと願う。
そして、その肯定を与えられるのは、真実の愛だけだ。
他者、あるいは自身によって、肯定を得た者だけが満ち足りて逝ける。

初稿:2000年12月22日 メールマガジン『eclipse』より

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監督  佐藤純彌
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関連リンク 戦後日本の宿命と社会の不条理を描く 森村誠一『人間の証明』 / 野性の証明 森村誠一

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